熊本県

熊本県の検索結果

昭和天皇も利用された由緒正しきホテル跡
熊本県阿蘇郡南阿蘇村
ほてる)は熊本県阿蘇郡長陽村(現・南阿蘇村)にあった観光・リゾートホテル。温泉も湧き出すことから別称「湯の谷温泉」とも呼ばれた。「○観光ホテル」「阿○観光ホテル」等として紹介されていることもある。 1939(昭和14)年7月、政府資金融資を受けた国策のホテルとして開業。元々は民家風の木造瓦葺地下1
過疎村に観客8000人が動員されたが
熊本県阿蘇郡産山村
呼の里は、熊本県阿蘇郡産山村にあった巨大リゾート、アミューズメント施設群。「卑○子の里」等として紹介されていることもある。 1979(昭和51)年に着工。阿蘇、九重、祖母の三名山が一望できることから徳富蘇峰が「一望三山台」と名付けた草原に、105haの広大な敷地を設け、総工費約300億円をかけて建
旧国鉄宮原線の廃アーチ橋
熊本県阿蘇郡小国町
れている。
熊本県荒尾市大島
三池炭鉱四山坑(よつやまこう)は大牟田市と荒尾市の境界付近にあった炭鉱。 1923(大正12)年に操業開始。 1924(大正13)年に巨大な竪坑櫓が建設される。ワインディングタワー式と呼ばれる竪坑櫓で、志免炭鉱、真谷地炭鉱、中興鉱業福島炭鉱、羽幌炭鉱と合わせて国内で5箇所しか作られなかった。
伝説の未成病院
熊本県熊本市植木町米塚
信愛病院は熊本県熊本市植木町の廃病院。「しらぬい荘」「信○病院」「S病院」等として紹介されていることもある。 櫛形に複数建物が連結された2階建てのコンクリート建築で、1967~1970年に建設されている。 廃病院と言われているが、未成のまま開業することがなかったため、本当に病院を予定していたのか
「クッキングパパ」にも登場する大洞窟温泉
熊本県水俣市浜
・山海館は熊本県水俣市の温泉旅館。 中心となる木造5階建て「磯館」が1952(昭和27)年に着工、3年の歳月かけ完成、1955(昭和30)年1月29日に開業した。 1988(昭和63)年11月には約8億円を投じて全面改装、客室71室、大広間3室を備える大規模施設となった。 「大洞窟温泉」で知ら
皇太子殿下も宿泊された伝説のホテル跡
熊本県宇城市三角町三角浦
テル)は、熊本県宇城市三角町にあったホテル。国道266号線沿い、天文橋東詰に位置する。「天○パ○ルホテル」「天○パールラインホテル」等として紹介されていることもある。 1966(昭和41)年の開業と言われている。空中写真では1964(昭和39)年以降、1967(昭和42)年までに開設されており、ま
海岸沿いに残る海底炭鉱の遺構
熊本県天草市牛深町
しこう)は熊本県天草市にあった海底炭鉱。「牛深炭鉱」とも呼ばれる。 1897(明治30)年に天草炭業株式会社が開坑。海軍艦船の向けの無煙炭(むえんたん)を採掘していた。1899(明治32)年には47人(うち女性8人)が坑員として働いていたという。 「キラ炭」と呼ばれる無煙炭で、カロリーが高く揮発
熊本県荒尾市原万田
鉱万田坑は熊本県荒尾市にあった炭鉱坑口。 江戸時代に始まり、1889(明治22)年に三井財閥に払下げられた三池炭鉱の主要坑口の一つで、1897(明治30)年より開発され、1902(明治35)年に第一竪坑が完成。1908(明治41)年には第二竪坑が完成し、1945(昭和20)年頃まで1600万トン以
阿蘇やまなみ山荘
熊本県阿蘇郡産山村
テル別館は熊本県阿蘇郡産山村のホテル。県道40号線南小国波野線沿いに位置する。「やま○みリゾートホテル別館」「○リゾートホテル別館」等として紹介されていることもある。 ゴルフ場に併設された本館の別館に当たり、1991(平成3)年に開業している。A~C棟の3階建て建物が連なる構造だった。 電話帳に
一斉を風靡した総合結婚式場
熊本県荒尾市野原
屋会館は、熊本県荒尾市にあったレストランと結婚式場を兼ねた総合施設。国道208号線沿いに位置する。 1975年時点で同位置には施設が所在するが、現存建物と形状が異なる。1982年までに建て替えられているが、やはり形状が異なっている。1987年までに現在の建物は建設されている。 2階建て建物を中心
赤煉瓦造りの発電所跡
深水発電所 (解体)
熊本県八代市坂本町西部
発電所は、熊本県八代市にある発電所跡。赤煉瓦造りの美しい建物が球磨川に映える。 西日本製紙付属の発電所として1921(大正10)年に竣工した。1988(昭和63)年、製紙会社の廃業に伴い閉鎖された。現在は日本製紙の所有となっている。 2008(平成20)年に、ペンキが剥げ落ち痛みの激しかった屋根
「アジアを、遊ぼ!」
アジアパーク (解体)
熊本県荒尾市本井手
アパークは熊本県荒尾市にあったテーマパーク。「ア○アパーク」「Aパーク」等として紹介されていることもある。 1993(平成5)年に開業。三井三池炭鉱閉山後の地域経済浮揚策として設立された第三セクター「アスク」によるもので、三井グリーンランドに隣接する敷地は炭鉱住宅の跡地だった。 全長460メート
熊本県天草市魚貫町
んこう)は熊本県天草市にあった炭鉱。 天草炭業烏帽子坑(牛深炭鉱)などと共に天草炭田(あまくさたんでん)に属し、比較的規模の大きな炭鉱であった。 天保年間に発見され、当初は露天掘りやタヌキ掘りで小規模な採掘が行われていた。 1903(明治36)年に日本練炭株式会社が買収してから組織的な採掘が始
三井鉱山の最主力坑
福岡県大牟田市西港町
市)および熊本県荒尾市に坑口のあった炭鉱。 江戸時代から採掘が行われてきたが、1889(明治22)年に三井財閥に払下げられ以来、近代化が進められた。 三川坑は1937(昭和12)年に建設開始、1940(昭和15)年に開坑。三池港の近くに位置しする。 戦後復興期には三井鉱山の最主力坑となり、19
戦後は市電の変電所に
熊本県荒尾市増永
造変電所は熊本県荒尾市にある変電所跡。 1939(昭和14)年から建設の進められた官営軍需工場・東京陸軍第二兵廠荒尾製造所(東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所)、通称「荒尾二造(あらおにぞう)」の変電設備として、1943(昭和18)年12月に作られた。 全長約32m、奥行き約8m、高さ約11mの耐火性
熊本県水俣市石坂川
ZZO)は熊本県水俣市のホテル。国道268号の下をくぐる旧道沿いに位置する。 1996年頃に開業。 2階建ての中規模施設で、1階がガレージ、2階が客室の構造だった。 1997年〜2012年まで電話帳に記載が見られるため、2012年前後に閉業したものと推測される。 2013年11月時点で入口に
尾二造)は熊本県荒尾市にあった旧軍施設。 1939(昭和14)年に陸軍省が旧・荒尾町、有明村、八幡村の100万坪を買収し、官営軍需工場として建設された。 周囲には1940(昭和15)年~1942(昭和17)年にかけて幹線道路や職員住宅、病院、学生寮など多くの施設が建設され、多い月で1000人程が
宇土櫓レストラン、スリーセブン、黒崎苑
熊本県宇土市赤瀬町
墟ゾーンは熊本県宇土市にある廃墟群の通称。宇城市との境界に近い国道57号沿いに、宇土市赤瀬町の大人のおもちゃ屋廃墟、天草観光みやげセンターなど、閉業店舗が軒を連ねている。 概ね1970年頃に開業したらしい。 2012年時点で、向かって左(宇城市側、西側)から①「いかや」らしい看板の小店舗、②名称
惨殺の家?
熊本県宇土市松原町
とさつ)は熊本県宇土市にある廃屋の通称。国道57号線沿いに位置する。「惨殺の家」等として紹介されていることもある。 1967年時点でそれらしい建物が確認できる。 1982年10月7日に元宇土市議の未亡人が包丁で刺された上にネクタイで絞め殺される事件が発生しているが、その事件現場と言われている。事
プール跡のある廃村
熊本県上益城郡山都町
いじん)は熊本県上益城郡山都町(旧・矢部町)の林業集落の廃村。 矢部町立白糸第二小学校内大臣分校があった。1918(大正7)年に開校。1979(昭和54)年に白糸第三小内大臣分校となるも、1980(昭和55)年に廃校。校門跡が残る。 集落には内大臣製品事業所跡が残るほか、小松神社(内大臣小松重盛
人吉ループ橋近くの廃ホテル
熊本県人吉市大畑町
ライトは、熊本県人吉市のラブホテル。人吉ループ橋近く、国道221号から旧道に入ったところに位置する。 三角屋根の2階建て建物2棟から構成されるホテルで、1976年時点では所在せず、人吉ループ橋が完成し現国道221号が開通した1979年頃の開業と推測される。 当時としては珍しかったループ橋の集客効
緑川を渡る鉄橋が残る
熊本県上益城郡甲佐町
森林鉄道は熊本県上益城郡甲佐町の甲佐駅から熊本県下益城郡砥用町(現:美里町)を経て上益城郡矢部町(現:山都町)の貯木場までを結んでいた森林鉄道。 1915(大正4)年に本線21.3キロ、小松谷支線0.4キロが開業。 1926(大正15)年には鴨猪谷支線14.8キロが、1950(昭和25)年には北
「○喜○龍」
熊本県荒尾市野原
テルせいは熊本県荒尾市のラブホテル。 1967~1974年に開業。1階がガレージ2階が客室の2階建て施設で、5部屋ほどの構成だったらしい。 電話帳には「ホテルせい」の名称で1993〜2000年まで記載があり、2000年前後の閉業と考えられる。 2013年2月時点で道路から敷地に至るスロープ上が
多くの橋梁・隧道の残る廃線跡
大分県玖珠郡九重町
恵良駅から熊本県阿蘇郡小国町の肥後小国駅までを結んでいた国鉄の鉄道路線。 1937(昭和12)年に恵良 - 宝泉寺間が開業したものの、太平洋戦争の激化にともない不要不急線として延伸工事は中止され、1943(昭和18)年には既開業区間も休止された。 戦後の1948(昭和23)年には復活し、1954
山小屋開館のゴルフ場
熊本県荒尾市野原
フ練習場は熊本県荒尾市にあったゴルフ練習場。国道208号沿いに位置する。 1962年時点で所在し、1960年頃に開業したらしい。 電話帳には「赤田ゴンフ練習場(ママ)」「赤田ゴンレフ場(ママ)」等として1999年まで記載があり、1999年頃に閉業したらしい。隣接する山小屋会館の系列施設だった。
熊本地震で崩落
阿蘇大橋 (他)
熊本県阿蘇郡南阿蘇村
阿蘇大橋は熊本県阿蘇郡南阿蘇村にあった橋。黒川に架かり、「赤橋」と通称される。 国道325号バイパスの一部として1967(昭和42)年に着工、1970(昭和45)年12月に完成した。橋長205.96m、幅員8m。 開通直後に投身自殺が相次いだことから、1990(平成2)年に橋の両端から水平に張り
熊本県菊池市泗水町吉富
飛行場)は熊本県菊池市にあった飛行場。 1935(昭和10)年から福岡県の大刀洗陸軍飛行場の分敞として建設が始められ、1940(昭和15)年の完成後には陸軍飛行学校も開設された。他に通信学校や陸軍病院等の施設があった。 弾薬庫、油倉庫、格納庫基礎、門柱などのほか、最大の遺構として高さ13.57m
廃ホバークラフト
熊本県八代市新港町
クラフトは熊本県八代市の八代新港に留置されていたホバークラフト。 これらのホバークラフトは、2009年に廃業となった「大分ホーバーフェリー」で別府湾を横断する足として活躍していた。 2009年10月の運航終了後、ホバークラフト4隻は旧大分基地内に留め置かれていたが、2010年3月5日に4隻とも大
熊本の巨大ピラミッド廃墟
熊本県阿蘇市小里
念会館跡は熊本県阿蘇市にあった宗教施設跡。「熊本の巨大ピラミッド廃墟」等とも呼ばれる。 史上最大のネズミ講組織「天下一家の会」のシンボルとして、1978(昭和53)年に13億円の工費をかけて建設された地上8階建てのピラミッドビルである。最上部には瞑想室があり、3階には国際会議にも使える大会議場や貴
発電所らしからぬ木造建築
熊本県八代市坂本町鮎帰
らしい木造建築が残る。
廃墟のままソーラー
ホテル藍 (他)
熊本県
ホテル藍は熊本県玉名市(旧・玉名郡岱明町)のラブホテル。 1970年代前半頃の開業と推測される。 2階建てで塔屋部分が3階建ての建物で、白地に緑縁の城を模したようなデザインだった。 電話帳には「ホテル藍」として1993~2000年に記載があり、2000年頃に閉業したらしい。 2012年時点で
九州唯一の通過可能なループ線
熊本県水俣市大川
川ループは熊本県水俣市にある鉄道遺構。 山野線(やまのせん)の久木野 - 薩摩布計間にあり、九州唯一の通過可能なループ線だった。 山野線は、熊本県水俣市の水俣駅から鹿児島県姶良郡湧水町の栗野駅までを結んでいた鉄道路線で、1921(大正10)年に栗野 - 山野間で開業した山野軽便線を前身とする。1
朽ちた鉄筋校舎の内部にまで蔦
熊本県八代市坂本町
本小学校は熊本県八代市(旧・坂本村)にあった学校。県道158号線沿いに位置する。 元々は上松球麻第一小学校で、1961(昭和36)年に坂本村立藤本小学校になったらしい。 2003(平成15)年に中津道小学校、田上小学校、中谷小学校、鮎帰小学校、責分校、深水小学校、西部小学校と統合、新たに坂本村立
通行止めのままの「天空の道」
熊本県阿蘇市狩尾
ュタの道は熊本県阿蘇市にある道路の通称。正しくは「阿蘇市道狩尾幹線」で、「狩尾の坂」「狩尾峠」とも呼ばれる。 阿蘇山の外輪山と阿蘇谷を結ぶ道路で、元々は牧草の運搬を目的とした農道だったが、1984年に当時の阿蘇町が町道として認定した。 雲海に覆われると雲に浮かぶ島のように見えることから、宮崎駿原
道路マニアの聖地
宮崎県えびの市東川北
藤峠)は、熊本県人吉市と宮崎県えびの市にまたがる国道221号線の旧道。 大変急峻な地形で、戦後に自衛隊が整備開通したという。 1972(昭和47)年に加久藤トンネルが開通し役目を終えた。 錆びつき判読困難になった県境標識が残っていることで知られ、「道路マニアの聖地」等と言われている。 落石や
熊本県八代市東陽町河俣
熊本県八代市の県道25号線沿いにある廃バス。県道25号線宮原五木線沿い、河俣川に位置する。 産交バス(九州産交バス)の廃車両らしい。 少なくとも2013年3月時点で所在し、全体に黒ずみ、一部の塗装が剥げて錆が浮いている状態だった。 資材置き場として使われていた形跡がある。 2020年初頭時点
3つのホテルと梨園
熊本県荒尾市野原
熊本県荒尾市にある赤田池の廃墟と梨園跡。 ソーラーパネルの奥に3軒ほどの建物が木々に覆われており、手前の2〜3階建てほどの1軒は壁が剥がれ落ちて鉄骨等が丸見えになっている。またこれらの建物群の横に、骨組みだけとなり緑に埋もれたビニールハウスらしいものが数多く存在しているのが航空写真から見て取れる。
熊本県上益城郡山都町
糸中学校は熊本県上益城郡山都町(旧・上益城郡矢部町)にあった学校。県道180号線沿い、相藤寺~鶴ヶ淵の間に位置する。「S中学校」等として紹介されていることもある。 1986年浜町中学校へ統合となり閉校した。 閉校後はキャンプ場兼宿泊施設として活用されていたが、2000年代に入り使用されなくなり、
熊本県八代市
くしま)は熊本県八代市にある無人島。八代海北部に位置する。 周囲約3.8kmで、島全体が良質の石灰岩でできている。 1889(明治22)年から日本セメントによって石灰岩の採掘が進み、島の中央部が海面近くまで削り取られた。最盛期の昭和30年頃には50世帯約250人が生活し、小中学校の分校もあった。
熊本県阿蘇郡小国町
川橋梁は、熊本県阿蘇郡小国町北里にある鉄道廃橋梁跡。 1938(昭和13)頃に建設された旧国鉄宮原線(みやのはるせん)の橋梁で、筑後川水系潮井川に架かる橋長34mのコンクリート造3連アーチ橋である。 宮原線が1984(昭和59)年12月に全線廃止となったことで役目を終えた。 登録有形文化財に指
ワォッ!!パートツー
熊本県
アイネ島は熊本県玉名市(旧・玉名郡岱明町)のラブホテル。 1975~1982年に開業。 2階建て建物がVの字に組み合わさった構造で、中央部分に四角錐の塔があり、建物上部の四角い飾り、アーチ状の窓、バルコニーなど、西洋の城を模したようなデザインだった。 電話帳には「クラウン」として1993年、「
錦館 (解体)
熊本県玉名市高瀬
錦館は、熊本県玉名市にあった映画館跡。 『日本映画事業総覧 昭和5年版』(国際映画通信社、1930年)にも「錦館」として掲載されており、戦前から続く映画館だったらしい。『全国映画館名簿』(全国映画館新聞社、1960年)には「玉名東映錦館」「定員500名」と掲載されている。 1989(平成元)年頃
ワォッ!!パートワン
熊本県
名アイネは熊本県玉名市(旧・玉名郡岱明町)のラブホテル。 1980年代末頃に開業。平屋建ての長細い建物が3棟並ぶ構成で、それぞれ「A島KAUAI」「B島MAUI」「C島HAWAII」とハワイにちなんだ名称だった。 電話帳には「ホテル出雲」「ホテル友宝」「ホテル・ニューくろだいや」として1993年
二度の自然災害で長期休業
熊本県阿蘇市無田
白雲山荘は熊本県阿蘇市のホテル。阿蘇山麓赤水に位置する。 1967年に開業。 回転展望レストランやスケートリンクまで備える全157室の大規模施設で、温泉大浴場「宝の湯」に湧く赤水温泉は、素肌にやさしい阿蘇の名湯として知られた。 テレビドラマ「ザ・ガードマン」「キイハンター」「Gメン75」などに
木造変電所
熊本県合志市合生
池変電所は熊本県合志市にあった変電所。 熊本電気鉄道株式会社の熊本市の藤崎宮駅と菊池市の菊池駅を結ぶ通称「菊電」の変電所として、1944(昭和19)年に使用認可されている。 変電所としては珍しい木造建物で、一見して納屋のように見える味わい深い建物である。 1986(昭和61)年に御代志駅~菊池
八角トンネル
熊本県下益城郡美里町
つどう)は熊本県熊本市の南熊本駅から同県下益城郡砥用町(現・美里町)の砥用駅までを結んでいた鉄道路線。 1915(大正4)年に春竹(現・南熊本) - 鯰間を新規開業。その後順次延伸され、1932(昭和7)年に砥用間までが開通した。 熊延鉄道の名称は熊本と延岡を結ぶことを当初計画していたことに由来
風前の灯フルーツ店
熊本県阿蘇郡南阿蘇村
ルーツ)は熊本県阿蘇郡南阿蘇村(旧・長陽村)の廃商店。 1976年時点で同位置に所在し、1970年頃の開業と推測される。路側帯ぎわに長細い建物が並び、向かって左側は全面がシャッターのバラック状の商店、右側は少し造りのしっかりした店舗になっている。ドライブ客を対象とした果物店だったらしい。 電話帳
支柱のみが異星の遺跡のように
熊本県阿蘇市一の宮町宮地
ウェイは、熊本県阿蘇市にある索道。 1964(昭和39)年8月に九州産業交通により開設される。阿蘇山の東側からアプローチする索道で、仙酔峡道路終点の仙酔峡駅から火口東駅まで1,485m、高低差389mを約9分で結んでいた。定員は61人だった。 1979(昭和54)年9月に阿蘇山中岳火口の噴火に伴
ホテル松林がほぼ林に
熊本県荒尾市野原
テル松林は熊本県荒尾市にあったホテル。 10数棟のコテージから成るホテルで、1970年頃の開業と推測される。 電話帳には2006年まで記載があるが、2006年4月の空中写真でも既に全体が木々に覆われつつある。 2013年時点で敷地全体がトタン板で囲われており、トタンの欠けた箇所からフロント棟ら