品川台場

品川台場は、江戸幕府がペリー艦隊来航を受けて築造した砲台跡。「お台場」という地名の由来となっている。

東京・品川に、8つの台場が建設された。

第一台場 - 周囲が埋め立てられ、現在の品川埠頭の一部(港南5-2コンテナ置き場南側部分付近)となる。

第二台場 - 撤去され、現在も海上。

第三台場 - 現存。現在の台場公園(地図)。

第四台場 - 南側と西側が埋め立てられ、現在の天王洲の一部(第一ホテルシーフォート付近)となる。護岸は、旧第四台場の石垣を再利用したもの。

第五台場 - 周囲が埋め立てられ、現在の品川埠頭の一部(港南5-11内貿3号上屋付近)となる。

第六台場 - 現存。レインボーブリッジ付近の海上にあり、現在は立ち入り禁止。

第七台場 - 未完成のまま撤去され、現在も海上(レインボーブリッジ台場口付近)。

御殿山下台場 - 現在の品川区立台場小学校。

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品川台場 住所

東京都港区台場1丁目

品川台場 種類

軍事施設・戦争遺構

品川台場 画像

品川台場 写真・ブログ・リポート

お台場に浮かぶ幕末の戦争遺跡「品川台場」 (2) - 東京DEEP案内
ちなみに近くには第二台場というのもあったが、戦後に海上交通の妨げになるとして3年 がかり
お台場に浮かぶ幕末の戦争遺跡「品川台場」 (1) - 東京DEEP案内
品川台場は当時この付近に8基(計画では11基)建造されていて、黒船を迎え撃つ為に 当時の最新技術と必死の人海戦術でこしらえたものだが、二度目のペリー艦隊来航の 時に、ぎっしり砲台の並ぶこの品川台場を見てこりゃヤベエと横浜に引き返したという。
お台場に浮かぶ幕末の戦争遺跡「品川台場」 (3) - 東京DEEP案内
幕末の戦争遺跡「品川台場」を今なお留める唯一の史跡・第三台場。全部で8つあった 台場
品川台場(武蔵国)
2度目の黒船来襲に対し、幕府はこの品川台場建設を急がせたが、結局この砲台は一度も火を噴くことなく開国することとなった。≪明治時代≫明治8年(1875) 海上の7つの台場が陸軍省の所管となる。明治中期には東京湾要塞の建設が始まったこともあっ
品川台場
(上) 第三台場. 品川台場. 品川台場の略年表.
江戸湾防衛の海上要塞 第三台場② - 昭和の歴史B級研究所 - Yahoo
2010年10月11日 台場」は江戸幕府が黒船来襲にそなえて品川沖に築いた人工の島、海上の要塞です。 東京湾の埋立てに伴い大部分が撤去され、現在は第三台場と第六台場が残るのみです 。第三台場は公園として整備され、防波堤沿いに歩いて渡ることが
タヌキおやじの日々の生活 遺跡シリーズ第12弾『品川台場』
2012年1月29日 お台場の「台場(だいば)」とは、幕末に設置された砲台で、要塞の一種である。 日本 各地に築かれたそうな。 品川に設置された台場は、海上に第一台場から第三台場が 完成、その後に第五台場と第六台場が完成した。 第七台場は未完成、第
要塞とは何か - So-net
要塞とは、国防上重要な地域・港湾・海峡等に敵が侵攻しないように設けられた防御営造物のことです。 具体的には、重砲を備えた砲台を . ペリー艦隊が去ると直ちに幕府は、江戸防衛のため、品川台場の築城に着手した。計画では品川沖に第一~十一台場を 
社団法人日本埋立浚渫協会
品川台場計画図・黒船来航図絵巻(横浜開港資料館所蔵). 江川英龍の自画像 この段階での江戸の海上防衛方針は、外国船が江戸湾に入る以前に富津-観音崎のラインに要塞化した台場を築き侵入を阻止するという計画であった。しかし、水深の深い海上