大湊通信隊稚内分遣隊幕別送信所

大湊通信隊稚内分遣隊幕別送信所は北海道稚内市にある旧海軍通信施設。

大本営海軍部と直結した送受信基地で、太平洋戦争開戦時「新高山、登レー二○八」の暗号電報は、ここから単冠湾の機動部隊司令官南雲海軍中将に中継打電された。

1931(昭和6)年、大湊海軍通信隊稚内派遣隊幕別送信所として新設。1937(昭和12)年海軍大湊通信隊稚内分遣隊に昇格。1947(昭和22)年、アメリカ軍第11空挺部隊の一部、第1騎兵師団通信業務隊が幕別送信所跡に駐留。1962(昭和37)年キャンプ撤退。

管理されているが、積雪による損傷が進んでいる。

物件は管理されており、無断侵入や破壊・損壊行為、物品の持ち出し等は法的に禁じられています。航空写真・ストリートビューからの鑑賞を強く推奨します。また周辺地域を訪問される場合でも、公道上から外見のみを見学し、地域の方々に迷惑となる行為は強く慎まれるようお願い致します。情報は最新の状態を反映しているとは限らず、リニューアル・再生されている場合もあります。当サイトの情報は物件の歴史的に一時的な状態を示しているのみです。また、不使用施設以外の味わい深い施設をおことわりの上紹介している場合がありますのでご注意下さい

大湊通信隊稚内分遣隊幕別送信所 住所

北海道稚内市声問村恵北

大湊通信隊稚内分遣隊幕別送信所 種類

通信施設

大湊通信隊稚内分遣隊幕別送信所 画像

大湊通信隊稚内分遣隊幕別送信所 写真・ブログ・リポート

旧帝国海軍通信所跡(稚内市)
稚内市恵北ここ大湊通信隊稚内分遣隊無線送信所は昭和6年に極秘で建設され昭和16年12月8日の太平洋戦争に突入時この施設から日本艦隊に「ニイタカヤマノボレヒトフタマル」と暗号電文が送信されました。戦後の昭和27年米軍第一騎兵隊団通信業務隊が駐留し、昭和47年に日
稚内赤れんが通信所Breeze from Hokkaido
「ニイタカヤマノボレ」1941年に真珠湾攻撃を命じる暗号電報を艦隊に送った(中継)とされる旧日本軍の無線送信施設が、稚内の郊外にある。旧海軍大湊通信隊稚内分遣隊幕別送信所(愛称:稚内赤れんが通信所)。昭和6年、秘密裏に建設された。終戦後、米軍が駐留したのち、昭
旧海軍無線送信所1|OTHER_ALL/OTHER_ALL|Car Photo Gallery|O.i.r.a.123。|Minkara - The Car & Automobile SNS(Blog - Parts - Maintenance - Mileage)
旧海軍無線通信所正式名称:旧海軍大湊通信隊稚内分遣隊無線通信所庁舎敷地空撮A、B、Cの順で紹介2まずはA棟3昭和3年に建てられた最初の施設は鉄筋で作られてはいるが雪の重みに耐えられず、木造部分は倒壊…4木の窓枠5倒壊の危険があるために、入り口は厳重にふさがれて
“iQ乘り”の日常:新旧の無線施設
この前、稚内へ行った際、道内最大規模のレンガ造りの建物「旧帝国海軍大湊通信隊稚内分遣隊幕別通信所分庁舎」を瞥見してきました(老朽化が著しいため、予約しないと中へは入れないため)。昭和6年に大湊海軍通信隊稚内派遣隊幕別送信所として開設され、以後、送信所庁舎及び隊