浜名海兵団跡

海兵団は大日本帝国海軍において、軍港の警備防衛、下士官、新兵の補欠員の艦船部隊への補充、また海兵団教育と称するその教育訓練のために練習部を設け、海軍四等兵たる新兵、海軍特修兵たるべき下士官などに教育を施すために、鎮守府に設置されていた陸上部隊である。

浜名海兵団は1944年(昭和19年)9月15日、横須賀鎮守府の管轄で設置された。面積80万平方メートル、本部庁舎2棟のほか、35棟の兵舎 烹炊所7棟があった。

戦後は農地になり、現在は畑の中に防空壕だけが残っている。

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浜名海兵団跡 住所

静岡県湖西市新居町新居2345

浜名海兵団跡 種類

軍事施設・戦争遺構

浜名海兵団跡 画像

浜名海兵団跡

浜名海兵団跡 写真・ブログ・リポート

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