徳義炭鉱は長崎県松浦市福島町にあった炭鉱。 1941(昭和16)年に開坑、1942(昭和17)年に中島鉱業の...

徳義炭鉱

徳義炭鉱 概要・歴史

徳義炭鉱は長崎県松浦市福島町にあった炭鉱。 1941(昭和16)年に開坑、1942(昭和17)年に中島鉱業の...

徳義炭鉱 画像

徳義炭鉱の桟橋跡(2022年5月)
©Google
桟橋の北にボタ山が見られ、周囲に鉱山住宅が並んでいる(1968年6月)
©国土地理院

近くのスポット

徳義炭鉱 ストリートビュー・空中写真

徳義炭鉱 関連ブログ・参考リンク

http://hakkaku-culture.info/webmagazine/000343.php
長崎県と佐賀県のはざまにある福島(陸地が近いけれど立派な島です)にある徳義炭鉱を見に行ってきました。佐賀県の有名廃墟、伊万里造船所を眺めたあと、伊万里湾をぐるっと取り囲む国道204号線をそのまま反時計まわりに走り、福島大橋を渡ると島に到着します
http://ameblo.jp/gmgwwmd0/entry-11517935215.html
伊万里市側から長崎県探索を開始します松浦市の北東部にある福島町に向かいます島の西側にあった、徳義炭鉱を探索します(昭和49年の航空写真)綺麗な硬山とポケット桟橋、事務所や坑口位置には、建物らしきものが確認できる
http://miracetus.blogspot.jp/2013/05/blog-post_11.html
長崎県松浦市福島に残る炭鉱の痕跡。福島には3つの炭鉱があったようだけど、そのうち福島炭鉱跡地は現在LPG基地になっており遺構の残存は絶望的と思われる。徳義炭鉱と鯛の鼻炭鉱は遺構を確認できたのでそれについて。鯛の鼻のほうは次回にでも。
http://allxa.web.fc2.com/archi/industry/coalmine/tokuyoshi.html
福島は九州北西部の伊万里湾の外側に浮かぶ島である。島内に露頭があったので石炭の存在は古くから知られており、採炭は江戸時代には始まっていた。主に家庭用や煮干の加工用、そして伊万里の窯業向けに使用されていたという。明治縲恟コ和時代における島内の主な炭鉱は、北部の鯛之
http://kyuragi2011.blog.fc2.com/blog-entry-231.html
長崎県松浦市福島町浅谷免鯛ノ鼻、福島といった中興鉱業の大きな炭鉱が稼働した福島。1958年当時13.6億円をかけて建設された福島炭鉱のワインディングタワーは中興鉱業の繁栄を象徴するものとなっていたが残念ながら撤去済。徳義炭鉱も多くの設備が撤去されているが、のこ
http://milkkids.blog.fc2.com/blog-entry-755.html
こんなタイトルを書くとお縲懊恃p鉱マニアって思われますが実は長崎県松浦市福島町には土谷(どや)の棚田という有名な夕日がきれいな棚田がありそこに行く途
http://hayabusa-3.dreamlog.jp/archives/51249200.html
昭和16年開坑 17年着炭。同年7月中島鉱業直営となり、19年4月より出炭開始。30年4月 中島鉱業全山休山。同8月再開。33年中島鉱業は中興鉱業を合併吸収。名称は中興鉱業とする。36年同じ経営下の福島炭鉱と海面下300m、総延長3kmに及ぶ水平坑道で連結。坑口を福島坑に集約。これにより、徳義坑は実質的な役目を終えています。
https://ameblo.jp/takashi-cafe2019/entry-12542159111.html
 長崎県松浦市の福島は九州北西部の伊万里湾の外側に浮かぶ棚田が美しい島ですが、以前は炭坑で賑わった島でした。島内の北部の鯛之鼻炭鉱、中部の徳義炭鉱、南部の福島炭鉱の3カ所が主な炭鉱で、明治~昭和時代に操業していて他にも複数の中小炭鉱が操業していたそうですが、現在は全て廃止されています。今回訪れたのはそのうちの一つ徳義炭坑跡になります。棚田の撮影終了後帰り道で海に突き出た炭坑跡を見つけ傍まで行く事にしました。徳義炭鉱は1941年(昭和16年)に開坑して1944年(昭和19年)に出炭が始まったそうです。昭和30年代になると、坑道が深くなりすぎたことから坑内合理化のために福島炭鉱と海底坑道の接続を図り、坑口集約化が完了した1961年(昭和36年)をもって徳義炭鉱としての歴史は終わったそうです。島内で最後まで操業していた福島炭鉱も1972年(昭和47年)に閉山しています。※詳細データは『福島町郷土誌』福島町郷土誌編纂委員会から引用唐津街道から福島へは福島大橋でつながったので交通アクセスは便利になりました。
https://www.departure-ruins.com/tokutan/
長崎県松浦市福島町。この町には幾つかの炭鉱があった。北部の鯛の鼻炭鉱、南部の福島炭鉱、そして中部の徳義炭鉱だ。徳義炭鉱は1941~61年まで稼働した。 石炭の積み出し用として、海に突き出した桟橋跡が印象的な遺構として残っている。
徳義炭鉱 関連ワード
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