落石無線電信局

落石無線電信局は北海道根室市にある通信施設跡。

1908(明治41)年、北米航路の要衝として船舶や航空機と無線電信を行うため設置された。千島・樺太(サハリン)・カムチャツカの陸上局(電信局・郵便局)とも固定通信業務を行っていた。開設当初は落石岬側にあったが、1923(大正12)年に現在の場所に移設されている。

1966(昭和41)年、札幌中央電報局に統合されることとなり、半世紀を越えるこの地での業務を終えた。その後、荒れていた建物を、銅版画家の池田良二・武蔵野美術大学教授が1985(昭和60)年より改修を続け、スタジオ(仕事場)として利用している。

転用されているため、いわゆる廃墟ではない

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落石無線電信局 住所

北海道根室市落石西

落石無線電信局 種類

通信施設

落石無線電信局 画像

落石無線電信局 写真・ブログ・リポート

岬めぐり - Biglobe
さて、この時はたまたま小清水のYHで一緒になった旅仲間が6人集まり、2台のタクシーに分乗して岬に行ったのでした。 は知床YH→中山記念小清水YH→サロマ湖畔YH→紋別流氷の宿YH→浜頓別YH→稚内YH(または急行「利尻」)と泊まりを重ねていくことになり、約1週間の行程となります。 . 途...
落石無線電報局沿革史
現在は根室出身の銅版画家、池田良二氏(武蔵野美術大学教授)の個人スタジオとして廃墟の状態からの改修途上にある。 明治41年12月26日 根室郡和田村大字落石村落石大岬に落石無線電信局開局 大正4年6月15日 カムチャッカ半島南端ペトロパブロフスク局とわが国初の国際無線通信業務を開始 大正5年...
学生時代 in 北海道 (1985.4~1986.3): 時遊人SUZUのひとり言
前を走るトラックに追いつき、追い越し禁止区間だったため、その左側をすり抜けて前に出たのを見て、危険だと思った警官がパトライトを回して追尾して来たのだ。国道沿いに止められ、道行くドライバーに「頑張れよ~」と冷やかされたりした。
落石無線電信局跡 | 残影
根室市の外れにある落石岬。落石の漁村から岬へと向かうダートの途中に、コンクリの遺構が残っています。この遺構は、M41年の開局からS34年まで、太平洋を航行する船舶の通信基地として役目を果たした通信局の跡です。
落石無線通信局と三里浜のトーチカ
落石無線送信所と三里浜のトーチカ(2009年5月探訪)開局は明治41年で、昭和38年まで使用され、現在は画家の個人ギャラリーとして使用されている。アンテナの基礎建物の裏へ行ってみると、さらに大きな建物があったであろう基礎や残骸などが残っていた。三里浜をひたすら
落石無線電信局・送信所居住区   ― 北海道根室市落石西 ― : 遠い記憶、忘れられた風景。
1931年(昭和6年)、あのシリウス号は根室にやって来た。リンドバーグ(米)は北太平洋横断飛行の途中、濃霧の中をこの局の誘導により根室港に着水。市民からの賞賛を受けると、壮大な旅路の疲れを癒している。街は歴史に残る偉業の1ページに登場し、この施設は貢献したのだ
旧落石無線送信所跡
もとは旧逓信省管轄の落石無線送信所 として明治41年(1908年)に建造されるも、幾度かの火災・戦災に見舞われ、昭和29年に現在の 現在は根室出身の版画家、池田良二氏(武蔵野美術大学教授)の個人スタジオとして廃墟の状態からの改修途上にある。
エアぶろ 落石計画(旧落石無線送信局)・1
根室市の道の駅で、たまたまアートイベント「落石計画」の開催中だと知り、こちらにも寄ってみました。イベントは、落石岬にある旧落石無線送信局を使用して、毎年8月に開かれているようです。普段は入ることができない、送信局の扉が開いています。以前にここに来たのは2004
探索の旅2日目 | ちょっと探検な日記
落石岬にある無線送信所跡