平清水は山梨県南巨摩郡富士川町(旧・増穂町)にある廃村集落。戸川右岸、標高720m付近の山中に位置す...

平清水(富士川町)

平清水(富士川町) 概要・歴史

平清水は山梨県南巨摩郡富士川町(旧・増穂町)にある廃村集落。戸川右岸、標高720m付近の山中に位置す...
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平清水(富士川町) ストリートビュー・空中写真

平清水(富士川町) 関連ブログ・参考リンク

http://blogs.yahoo.co.jp/ydozou/7175537.html
南アルプス市(旧白根町大嵐)廃村・廃城篇/1. 2011/6/14(火) 午後 9:24. 早川町天久保廃村・廃校篇/2. 2011/6/12(日) 午後 4:10. 早川町天久保廃村・廃校篇/1. 2011/6/8(水) 午後 9:43. 富士川町(旧増穂町忍澤)廃村篇. 2011/6/5(日) 午後 
http://blogs.yahoo.co.jp/ydozou/7324099.html
富士川町(旧増穂町平清水)廃村篇/1の続きです。 屋敷跡か農地跡か今となっては分かりませんが、植林された檜林に覆われ集落内は昼間でも薄暗く、普通の方 なら少し薄気味悪く感じるかも知れませんが、私にはとても居心地の良い空間 
http://chuseisibou600.blog.fc2.com/blog-entry-37.html
2014年4月13日 山梨県 県営林道通行規制情報←情報を知りたい方はこちらをクリックして下さい。 上の情報画像はJPEGですリンクしていません、クリックしちゃった? (^^ゞ さて、前回は山梨県富士川町の上七尾地区へ行こうとしたのですが、残雪で断念しまツ黴
http://yoshio-niikura.cocolog-nifty.com/tanabota/2017/07/post-4b31.html
平清水の集落は上七尾よりさらに戸川沿いの急坂を上部へと登っていく。標高はすでに900mほど。上方に目をやるとそこには結構新しめの整えられたお墓。お墓があれば、それは必ず人家があるということ。あった。しかし完全に潰れていた。壁が石垣なのではなく、1階部分が完全に落ちてしまったので屋根と床がくっついてしまったのだ。下方に降りてくると、こちらはまだ高さを保ったままの家が一棟。すでに壁がなく、家の内部が丸見えになっている。まだ一部の家具や道具類が残されたままだ。廃村の象徴の一つが茶碗類。見付けるとうれしいものだが、こんなにたくさん出現するとねえ。
http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/19.Yamanashi/Masuho_Hirashimizu.html
      ◆平清水(ひらしみず)※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「鰍澤」(昭和27.8)を使用したものである所在:富士川町小室(こむろ)字平清水地形図:鰍沢/鰍沢形態:山中に家屋が集まる標高:約720m訪問:2009年8月  戸(と)川右岸の山中にある。古い地図では8軒くらいの建物と寺院が見られる。 地元の方(下七尾出身・昭和12年生まれ)の話では、覚えている範囲で家は8軒。うち2軒が台風の被害のために早く降りたそう。 現地には廃屋が2軒あり、うち1軒(写真1)は墓地の前に建っており、壊れた和太鼓も置いてある。寺院に関連するものだろうか。またこの近くには神社の跡地があり、「大山祇命之碑」(昭和60年、氏子一同による建立)が建っている(写真4)。以下は碑に刻まれた文章。此の平清水は一四四三年頃鷹津名荘といわれその後武田信玄公が一五四〇年頃戸川おき金山採掘の折当地の住民の安泰を祈願する為山の神として大山祇命を祭った 以來何回か修復を行い守り神として來たが昭和六〇年かつての住民集り朽ち果てた神社をとりこわし此の石碑をご神体として建てました なお氏子は11軒あるが、いずれも秋山姓。 集落の外れには後述の湧水も見られ、さらに谷を渡って集落の向かいに回ると小さな祠も残っていた。 以下町史より引用。 11戸の農家が逐年山を下り、ついに無人になったのが、昭和41年ごろ。今は残された廃屋6戸が、庭先に植えられた12、3年くらいの桧林に包まれている。 集落の高い所に山神宮と廃寺が残されている。集落の西の端の道ばたに、湧水の池が残っているが、おそらく平清水の地名はここからきたものと思われる。 写真1 廃屋写真2 廃屋にて写真3 墓地写真4 神社跡写真5 農地跡