尾太鉱山(おっぷこうざん)は青森県中津軽郡西目屋村にあった鉱山。 尾太岳の中腹一帯に分布する複数...

尾太鉱山

尾太鉱山 概要・歴史

尾太鉱山(おっぷこうざん)は青森県中津軽郡西目屋村にあった鉱山。 尾太岳の中腹一帯に分布する複数...

尾太鉱山 画像

尾太鉱山(1965年6月)
©国土地理院

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加茂~木津にあった関西本線の旧・鹿背山トンネルの、徒歩による鉄道遺跡撮影の記録です。この記事を書いている時点からちょうど40年前のことで、記憶はすごくあいまいです。地形図を見ながら当時の行動を推測しています。
https://hidekikawa.at.webry.info/200802/article_15.html
関西本線・加茂~木津間の旧線跡にあるトンネルです。上の写真は木津側ですが、くぼんでいるあたりの奥にトンネルがあります。見えにくいですが、入り口が柵で閉ざされているのが見えます。また、この入り口付近から木津方面に向かって掘り割りが伸びており、そのまま今の関西本線に合流しているのが見えます。
http://orange.zero.jp/zbc54213.wing/oppu-.html
HOME   青森県中津軽郡西目屋村砂子瀬    尾太(おっぷ)鉱山      Photo:2012年8月  (1/1)  ●主な採掘金属 :銀(輝銀鉱)、銅(黄銅鉱)、鉛(方鉛鉱)、亜鉛(閃亜鉛鉱)、マンガン(菱マンガン鉱)など。           脈石として石英、方解石も。●鉱  床     :中低温型熱水鉱床。●経営企業    :尾富鉱業(三菱金属鉱業系)世界遺産、白神山地の北東の一角にある尾太鉱山は伝説では奈良時代から銅を採掘されその一部は東大寺の大仏にも使われたと言う。最も国内の古くからある銅鉱山はみんな大仏建立に使われたと言うからどこまでが本当か分からない。また江戸時代には九州・天草のキリスト教弾圧による隠れキリシタン達が逃亡先として尾太鉱山まで来たという伝説もある。これは秋田の尾去沢鉱山でも同じことがあったようなので事実だろう。この頃、本鉱山は津軽藩の直接経営で藩の財政をかなりの部分担っていたようである。その後細かな変遷はよく分からないが明治の中頃に一旦休山する。1935年(S10)に再開。その後も採掘は続けるも鉱業権は頻繁に移動。そんな中、戦後の経済復興を目指してか1952年(S27)三菱金属鉱業が鉱業権を取得し銀や銅、鉛以外にも金なども本格的に産出するようになる。しかし1970年すぎた頃から出鉱量も減少、有望鉱床も見つからず遂に1978年(S53)閉山を迎える。現在は坑内排水の水処理を県がカネを出し実施している。ちなみにその金額、年間2億円以上とのことらしい。■左:前日は弘前で泊まり朝一で西目屋村に向かう。県道28号をひたすら西進。途中はさすが世界遺産の白神山地である。風光明媚と   はまさにこういう景色を言うのだろう。思わず左折箇所を忘れてそのまま行ってしまいそうになる。だが今はその一角で大規模な   道路工事中。ダンプが多い。写真の道をそのまま行くと尾太鉱山に向かう。何年か先にはこの道も立派な走りやすい道路に変って   いるだろう。■右:尾太鉱山の選鉱設備、シックナーである。ご覧のように破壊されているようだ。解体途中か。これも道路建設のためだろうか。道路   完成後はシックナーのシの字も分からなくなることだろう。鉱山事務所がこの隣にある(下の写真)。シックナーとなりの鉱山事務所と事務所前の駐車場らしき広場。今はこんな風に整地されてしまい重機だけが我が物顔に鎮座?している。■左:県道28号を美山湖温泉で左折し県道317号に入り秋田方向に行く。5~6キロで写真の尾太鉱山の跡地、今は坑内   水処理しかやっていないがその場所に着く。現実には山の谷間にぽつんと一軒だけこぎれいでちっぽけな工場があ   る、と言う感じ。■右:水処理場の一角にある小さなプラント処理場。  ■左:文字どおり”おっぷばし(尾太橋)”。この下の川が湯ノ沢川。坑口は建物左手方向。■右:橋のそばにあった案内。新福舟(株)というのはあるいは山形の福舟鉱山の経営企業と同一企業ではないのか。■左と中:酸性化した坑内水を中和するための中和剤、水酸化カルシウム(消石灰Ca(OH)2)の貯蔵タンク。■ 右 :坑内水処理場の下を流れている湯ノ沢川。処理水はこの川に流している。水処理場から尾太岳中腹方向を見る。地図にはない小さな沢が写真正面にありその左手、電線のケーブルが木々の中に入っていく辺りに一つ目の坑口がある。山の上部には他にも坑口があるという。帰り道。来た道を戻るとこんな感じ。県道28号線に入る辺り。青いシートで囲っているものが工事中の高架橋。その下が美山湖。地図で見るとここより西側、白神山地の北側を東西に走っている県道28号線は今時珍しいぐらいにくねくね曲がっているwinding roadだ。最近は非常に少ない。全部トンネルになってしまっている。まさかここもそうなのだろうか。そのための工事?白神山地は確か世界遺産になって簡単には環境破壊できないはずだが。範囲を外れているのだろうか・・・      (1/1)     HOME    >完<
https://www.toonippo.co.jp/common/previous/photo_studio/110mountains/shirakami/oppudake/index.html
(おっぷだけ  1083.4m  西目屋村) 鉱山が村の盛衰を左右残月と尾太岳。この山の地中に総延長77キロの坑道が掘られた。緑の葉を付けている木はヒバ=97年10月22日、県道西目屋二ツ井線から きれいな三角形をした山である。白神山地の山々の山頂に立つと、その多くの所から尾太岳を望むことができる。それほど目立つ山だ。 この尾太岳を語るとき、尾太鉱山を抜きにはできない。言い伝えによると、同鉱山は奈良時代の初めごろから銅が掘り出され聖武天皇時代、奈良の大仏や鐘の鋳造に利用された、といわれる。 藩政時代から盛んに採鉱され山の一帯には一大集落ができ、全国から逃げてきた隠れキリシタンの安住の地になった、という伝説もある。鉱山は津軽藩財政のドル箱で、弘前-相馬村沢田-尾太岳に道が開かれた。 1888(明治21)年に休山になるが、1935(昭和10)年から細々と採鉱が再開される。戦後も経営権が転々と移りながら小規模に採鉱、本格的な採鉱が始まったのは52年、三菱金属鉱業の現地法人尾富鉱業が発足してからだった。尾太岳中腹にある鉱山本抗跡の抗口。鉱毒水をパイプで下まで運び、無毒処理している=99年6月19日 この新生尾太鉱山のスタート時から78年の閉山までの26年間、削岩機を握り坑道の最前線の切り羽に立ち続けたのが弘前市国吉の奈良富士男さん(66)だ。奈良さんは秋田県鹿角市出身。三菱系の尾去沢鉱山で働いていたが、同系の尾太鉱山が開かれたことにより、正社員として53年、尾太に派遣されたのだった。 現在の採鉱は、粉じん防止のため水を掛けながら行うが、当時はそれを面倒がり水無しで掘った。防ぐのは口と鼻をふさぐタオルだけ。猛烈な粉じんはタオルを通り、鼻をかむと紙は真っ黒になった。坑道は湿度が高く、シャツはいつも汗まみれだった。 鉱山の稼働期間中、最初から最後まで削岩機を握ったのは奈良さんを含め12-13人。しかし、いま生きているのは奈良さん一人だけだ。「みんなじん肺などにやられ閉山後、40-50歳代で次々死んでいった」。想像を絶する劣悪な環境だった。それに耐えたのは「三菱の社員という誇りがあったからだ。与えられた一生の仕事だと思ってやってきた。だからつらいと思ったことは無い」。尾太岳山頂にある灯ろう。「安永四年四月 奉寄進石燈籠 尾太銅山三上兵助」と読めた=97年10月22日 なぜ奈良さんだけが今も元気なのだろうか。「自分で自分の体を作ったからだ。家から鉱山まで走って通い、仕事が終わってからも走って鍛えた。一日30キロは走った。じん肺にならなかったのは、体を鍛えたおかげ、と思わざるをえない」。 尾太鉱山の主力は銅。このほか鉛、亜鉛、金、銀が産出した。外から見ると静かな山だが、その中に総延長77キロの坑道が掘られ、最盛期の65年ごろは毎月約2万5000トンの粗鉱を掘り出した。 西目屋村の人口が最も多かったのは60年の5346人。そのころ、尾太地区には1500人の鉱山関係者が住んでおり、同村最大の集落だった。弘前市にさきがけてスーパーマーケットができたり、尾太地区のバイク保有率が県内一だったこともある。当時、「弘前の店の人に『尾太の人でなければ一万円札(58年発行)を持っていない』と言われたものだ」と奈良さんは懐かしむ。 しかし、山が掘り尽くされ採算に合わなくなったため78年、閉山に追い込まれた。これを機に本県に鉱山は無くなった。栄華を誇った尾太地区は消滅、村の人口は激減をたどり99年7月現在、2314人しかいない。<メモ> 鉱毒処理に年間2億円余 尾太鉱山閉山を受け、県は1981年から鉱害防止事業に取り組んでいる。3力所の抗口から酸性水が出ており、この水に亜鉛、マンガン、銅、鉛、カドミウムなと重金属が含まれているため、これら金属を取り除き水を中和させてから放水している。抗廃水処理は、新福舟に委託している。併せて県は、古くなった鉱害防止施設の更新も進めている。廃水の年間処理費は2億4000万円。抗口から水が出ている限り処理は続けられる。(1999/9/4  東奥日報朝刊に掲載)本文中の、市町村名、人の年齢や肩書きは、取材当時のものです「あおもり110山」インデックス  |  青森県の山々「尾太岳」
http://www.ja7fyg.sakura.ne.jp/kouzan/opu/opu.html
尾太鉱山青森県中津軽郡西目屋村尾太鉱山は、青森県を代表する鉱山で銅鉱石を主に鉛や亜鉛も採掘していたが昭和53年8月閉山となり現在は坑内水の排水処理や鉱害防止工事などが継続して行われている。産出鉱物銅・鉛・亜鉛など写真をクリックすると拡大します選鉱場跡選鉱場跡の変電所跡選鉱場跡の建物  採鉱場跡の排水処理施設坑口の様子・坑内の鉱害対策工事中尾太鉱山では現在も排水処理や鉱害対策工事が行われている、選鉱場のシックナー施設も中和池として利用されている。前のページに戻る
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