赤芝橋は山形県西置賜郡小国町にある廃橋。国道113号旧道に位置する。 現在の赤芝橋は四代目にあたり....

赤芝橋(国道113号旧道)

赤芝橋(国道113号旧道) 概要・歴史

赤芝橋は山形県西置賜郡小国町にある廃橋。国道113号旧道に位置する。 現在の赤芝橋は四代目にあたり....

赤芝橋(国道113号旧道) 画像

現・赤芝橋から下流側を望む。岩盤の上に遺構が見えているが自然に溶け込んで目立たない(2023年9月)
©Tungstenite
二代目赤芝橋の自然石を組んだ橋脚下部。付近の木々が下流側に傾いており、増水時には水没する位置とわかる
©Tungstenite
三代目赤芝橋のコンクリート製橋桁
©Tungstenite
現赤芝橋の福島側、およそ10mほど下に位置し、1.5車線程度は確保された道
©Tungstenite
©国土地理院
©国土地理院

近くのスポット

赤芝橋(国道113号旧道) ストリートビュー・空中写真

赤芝橋(国道113号旧道) 関連ブログ・参考リンク

http://yamaiga.com/road/r113_akasiba/main.html
2010年12月31日 道路レポート 国道113号旧道 赤芝橋. 国道113号は、太平洋に面した福島県相馬市 と日本海に臨む新潟県新潟市を結ぶ、東北を横断する国道である。 その代表的な物 は宇津峠や八ツ口旧道、そして片洞門(日本の廃道)である。
http://yamaiga.com/road/r113_akasiba/main2.html
2010年10月18日 道路レポート 国道113号旧道 赤芝橋. 赤芝峡に望む旧橋脚 “お立ち台” . いま私が 立っている場所は明治以来の廃道なわけだが、その状況を見ながら、これと現道との間 には、もう一世代くらい旧道(と橋)があったのではないかと、そう感じツ黴
https://ameblo.jp/hi-road/entry-11329304641.html
山形県西置賜郡小国町の西の端、もう少しで新潟に入るあたりに赤芝峡というところがある。探索:2012年8月13日この険しさです。ちなみにですよ・・・目の前にあるパトライトのついた装置はオービスですよ!そこに速度が表示されるようになっています。なんとコンパクトな・・恐ろしい。セ、センサーはどこなんだ?!車を広くなっている場所に停めて左を見る。この先は小国市街地。国道113号線上、荒川にかかる赤芝橋。4代目の赤芝橋、1969年(昭和44年)開通。
https://www.thr.mlit.go.jp/yamagata/river/disasterinfo/panel/04.pdf
http://brix-kyuhasi.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_35fe.html
僕が旧橋に興味を持ったきっかけは、以前に紹介したから009.旧赤芝橋だったように思う。R113を何度も往復しているうちに、そこに多く残る旧道跡に魅かれてゆく過程で写真の橋脚跡を見つけ、「こんな所に橋の跡がっ!」と驚き、こんな地形にどんな橋が架かっていたのだろうかと想像し、以来僕の中では旧赤芝橋跡は気になる存在となった。これらのことに関して、ネット上には管見の限り全く情報がなかったが、その後旧赤芝橋の記事で紹介したように、写真の橋脚跡は車道の橋の跡ではなく、車道の橋の遺構は別に存在していたことも判った。そして写真の橋脚跡は、僕の中で昔の遊歩道かなんかの跡だろう、ということで片付いていた。そんななか、先の026.旧回顧橋について調べるうちに、衝撃的な写真を見つけてしまったのだ!
http://maimaiss.web.fc2.com/r113/akasibab/akasibab1.htm
国道113号線赤芝橋2008.7.20春の新緑や秋の紅葉が美しい赤芝峡です。左右にうねった川筋によって深く刻まれた谷の奇岩と紅葉が見せ場です。地形の険しさでは、東の片洞門地区と並ぶ険しさです。現赤芝橋の上から撮影しています。ここで国道は、川を一旦渡り右岸に取り付きます。旧道はこのまま荒川右岸を玉川口地区まで辿りますが、現道は、この先すぐに横根橋で左岸に戻り、横根トンネルを抜けてすぐ、再び川を渡り右岸に戻るという経路変更を行っています。よく見ると、画像下半分に橋脚の跡が見えています。カメラをやや下に向けると、落下している橋が見えます。これが、旧赤芝橋の橋桁らしいのすが、上に見えている橋脚の上流側にあります。最初にここに来たのは20年くらい前ですが、その時は、この橋脚が旧赤芝橋と思っていました。でも、上流側に落ちてるのは変じゃないか? とズーッと疑問に思いつつも詳しく調べることもなく、疑問は疑問のまま、放置していました。月日が流れ、インターネットの普及により、調べ物も簡単になり、ここに見えている橋脚は、明治の橋の橋脚だということがわかりました。つまり旧旧赤芝橋です。そして、落ちている橋桁は、昭和の橋のもので、羽越水害の時に落橋したとのことでした。明治の橋のほうは、木橋だったとのこと。明治の橋と昭和の橋は、別の場所に架かっていたようです。では、この昭和の赤芝橋はどこに架かっていたのでしょうか。現橋の下とか、いろいろ見て回ったのですが、なかなかそれらしい痕跡にたどり着けません。いろいろ見回したところ、、、ん、あれはなんでしょう。落橋している橋桁の左上ですが、、、この画像では、ちょっと分かりませんね。岩盤に開いている丸穴や散乱している鉄筋と思われるものが、見て取れます。ほぼ現橋の真下です。これを見て、現在の赤芝橋は、旧赤芝橋とほぼ同じ位置に架けられたのではないかと推測しました。旧赤芝橋は、昭和42年に襲った記録的大雨による荒川の大増水により落橋しています。こんな高いところに架かっている橋を落とすくらい増水したとは、驚異的な増水ですが、このときは広範囲に被害をもたらし、羽越水害と名付けられ、今でも人びとの記憶に深く刻まれたほどの大災害だったそうです。このときの水害で、国道は2箇所(赤芝橋と中の橋)が落橋。米坂線は、さらに甚大で、7箇所の鉄橋が破壊され、復旧に1年を要しています。赤芝橋については、すぐに仮橋が架けられるとともに、前後区間の改良工事も併せて行われて、この区間の新道全体としては、昭和47年に完成を見ています。現赤芝橋自体の竣工年は、調査不足で現時点では不明です。とここまで書いて、チョット待ったー上の画像に、ちゃんと写っているではないですか。ズームアップしてみると、木陰に石組みの橋台があるではないですか。つまり旧赤芝橋は、あそこからこちら側へ向かって架かっていた訳です。早速探索・・・と行きたいところなのですが、列車の時間が迫っていたのと、藪が濃そうだったので、落葉の頃に出直しすることにします。赤芝橋は、現在塗り替え中とかで、その全容を見ることができません。昭和の赤芝橋の竣工年についても不明です。その川底に眠る外観から、他橋と同じく昭和初期の建造とは思いますが。では、落葉時の再訪編へ