浅野セメント二俣尾駅専用線は東京都青梅市にあった専用線。 1929(昭和4)年に開鉱した浅野セメント梅...

浅野セメント二俣尾駅専用線

浅野セメント二俣尾駅専用線 概要・歴史

浅野セメント二俣尾駅専用線は東京都青梅市にあった専用線。 1929(昭和4)年に開鉱した浅野セメント梅...
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浅野セメント二俣尾駅専用線 関連ブログ・参考リンク

http://blogs.yahoo.co.jp/tkkoer2000/29836269.html
2012年7月5日 画像は東京都 青梅市 浅野セメント二俣尾駅専用線の廃線跡・・・3/4) 最寄り駅はJR 東日本 青梅線 二俣尾駅. 大正9年(1920年)~昭和39年(1964年)まで運用されてい たみたいです. 浅野セメント二俣尾駅専用線の廃線跡・・・1/4のA地点
http://blogs.yahoo.co.jp/tkkoer2000/29849219.html
2012年7月7日 画像は東京都 青梅市 浅野セメント二俣尾駅専用線の廃線跡・・・1/4) 最寄り駅はJR 東日本 青梅線 二俣尾駅. 大正9年(1920年)~昭和39年(1964年)まで運用されてい たみたいです. JR東日本 青梅線 二俣尾駅に到着. イメージ 1. 二俣尾駅
http://ktymtskz.my.coocan.jp/nakagawa/oome.htm
なっていた(注3)。宮ノ平は、大正3年4月1日に貨物駅として開業以来の存在で、後に 旅客も扱うようになった。 二俣尾への延長に先だち、日向和田停車場移転が、明治 45年5月2日に認可され、トンネル307mを含む1.3kmの線路延長が大正3年4月1日に 竣功した(注6)。 二俣尾への延長 . 石灰石の輸送先は、東海道本線に所属する貨物 支線の浜川崎で、ここから浅野セメント川崎工場に専用線経由で搬入した。当時は南武 鉄道
http://www.hotetu.net/kouzannkidou/110430futamataosenyousen.html
浅野セメント二俣尾駅専用線:青梅鉄道は1908年(大正7年)には二俣尾の雷電山も 買収して生産の拡大を図る。この年に浅野セメントも川崎工場を ②青梅線西条踏切 の脇に浅野セメント二俣尾駅専用線の廃線跡が残る。 ③青梅線茶道ガードに浅野 セメントツ黴
https://mattommmm.blog.jp/archives/85672926.html
二俣尾駅の橋上駅舎(跨線橋)から奥多摩方面を望む。1面2線+待避線の配線ですが、右側の待避線は本線に合流したあとも路盤が本線横に続いていきます。これはかつての浅野セメント専用線の廃線跡で、雷電山から産出されて索道で運搬された石灰石を積み込む専用線がありました。1929年に開業し1964年廃止という、かなり古い時期に使われなくなった専用線です。
https://ken201407.exblog.jp/30820767/
JR青梅線二俣尾駅から雷電山のふもとまでの石灰石積出しの専用線があった。約500mという非常に短い区間でした。いまは、落ち葉に埋もれながらレールや架線柱などの痕跡が残ってる。
https://ameblo.jp/hs205-haisen/entry-12454363024.html
青梅線二俣尾駅から分岐し、石灰石を輸送していた。石灰石は雷電山で採取され、索道・インクラインを通って積み込み場まで運ばれた。1964年に廃止。
https://tks-departure.sakura.ne.jp/futamatao.html
青梅線二俣尾鉱山専用線東京都の郊外を走る青梅線はかつては奥多摩から石炭を運ぶ貨車が走っていましたが今は消えてしまいました。そんな青梅線の二俣尾駅からかつて支線が出ていて少し先のホッパーへと繋がっていました。廃止は1960年代なのですでに40年以上が経過しています。この線は雷電山からの石炭を運び出す為の線で山からホッパーまでは専用のインクラインが引かれそこから駅まではこの線路を使用していました。そんな古い廃線跡を2006年4月に訪問してみました。当時の線路を現在の地図に書き込んでみました。しばらくは青梅線と平行に走っている線路は少し先で北上する形でカーブしていました。二俣尾駅の奥多摩側にある「西城踏切」から二俣尾駅を撮影。左の空きスペースが旧線路跡。上の写真を180度振り返った所。かつて線路があったので踏み切りの形状がかなり変形しているのが判ります。写真奥が奥多摩駅方面となります。線路は単線です。線路沿いにしばらく歩くと路盤と道路に高低差が出来て歩道が線路の下を通れる様になります。上を見上げるとかつてのガーダー橋が凄い錆で残っていました。かつてはココを車両が通ったんですね。ガーダー橋を渡ると線路は本線より大きく右にそれて草の中へ入って行ってしまうので一度国道へ戻り側道の急な斜面を登って本線の踏切を渡ります。そうすると右手の資材置き場横から線路上に入る事が出来ます。上写真がその場所です。ちょっと歩くと転轍機が残っていました。という事は・・・・。なんと線路はこんな場所で2線に分岐していました。ここからホッパーへと続いていきます。見上げればかつての架線の跡でしょうか、そのまま残っていました。線路は復線のまま山に入っていきます。写真は小川の様な水路を超える為に作られた小さな橋梁です。枕木は完全に腐っていて大人が乗ると折れそうで怖かったです。上写真の橋梁に乗る線路の写真。かなりの錆です。廃止から数十年放置されていればどんなものでも腐ってしまいますね。さてそのまま道を行くと狭くなり左方の線路は土に埋もれてしまって見えなくなってしまいます。右方ははっきりと残っていますが池の中を通っています。奥の看板には「蛍」を飼育しているので入らないでという旨が書かれています。ここまで来るともう廃線跡とは思えません。写真右手にかろうじて線路が写っていますがまるで沼の様でした。もうちょっとだけ奥に進んでみたいと思います。ホッパーの場所は恐らこの辺りだと思いますが軽装で来た為に今回はココで引き返します。辺りは切り通しになっていてかつては線路が奥まで延びていたという雰囲気はありますが岩がゴロゴロしていて先に進むのは容易ではなさそうです。本来この線路はもう少し先まで続いており現役時はホッパビンの中へ入っていっていましたが現在はそのホッパビンも無く線路跡を辿るのは冬の時期に行くのがよさそうです。また、ホッパビンからはこの路線の主目的である「雷電山」へと続く索道が有りました。DEPARTUREへ戻る・ 廃線TOPへ戻る
http://tsukinosabaku51.blog.fc2.com/blog-entry-1951.html
青梅線・二俣尾駅近くに残る浅野セメント専用線の廃線跡。架線柱と転轍機が残る。