蕨野集落(わらびの - )は新潟県柏崎市の廃村集落。 1972(昭和47)年11月に全戸離村し、解村記念碑と...

蕨野集落(柏崎市)

蕨野集落(柏崎市) 概要・歴史

蕨野集落(わらびの - )は新潟県柏崎市の廃村集落。 1972(昭和47)年11月に全戸離村し、解村記念碑と...
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蕨野集落(柏崎市) ストリートビュー・空中写真

蕨野集落(柏崎市) 関連ブログ・参考リンク

http://blogs.yahoo.co.jp/beat200ak/16248681.html
2012年7月10日 電力会社の設備や、どこかへ送る新しい電線も通っているので東北電力もここら辺を 管理しているのか?とにかく蕨野は廃村とはいえ「人の手」が入っていた。 つづいては 米山登山口で少しだけ有名な「吉尾」(よしお)集落だ。先の蕨野の隣だが
http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/15.Niigata/Kashiwazaki_Warabino.html
      ◆蕨野(わらびの)※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「柿崎」(昭和22.2)を使用したものである所在:柏崎市蕨野地形図:柿崎/柿崎形態:山中に家屋が集まる標高:約270m訪問:2016年11月  市の北西部。集落は大字の東部にある。 現地には解村記念碑(写真1)が建ち、往時の家々の絵地図が記されている。これによると当地にあった家は以下のとおり(概ね北側より。括弧内は屋号)。吉原(新屋)・川野(兵平)・川野(權平)・川野(半平)・川野(五郎右エ門)・川野(五左エ門)・川野(稲場口)・川野(善左エ門)・川野(豆ふ屋)・吉原(喜左エ門)・吉原(火家)・吉原(長助)・吉原(下瀬)・吉原(佐吉) これ以外にも神社の位置が記され、また集落の解散は昭和47年であることが分かる。 現地では管理された家屋や廃屋、数箇所の屋敷跡のほか、神社(神明社)の本殿跡(写真14)が確認できた。集落北部には何かの設備があるが、新屋の跡地を利用したものか(写真8)。 「角川」によると、大字蕨野は昭和32年からの大字。はじめ柿崎町、平成元年4月からは柏崎市の大字。もと柏崎市鉢崎(はっさき)・大平(おおだいら)の各一部。昭和30年代までは炭焼きが行われた。昭和32年14戸96人。 またHEYANEKO氏によると、当地には上輪(あげわ)小学校蕨野冬季分校があったとのこと(昭和46年閉校)。 写真1 碑写真2 家屋写真3 屋敷跡写真4 倒潰家屋写真5 屋敷跡写真6 墓写真7 戦歿者の墓写真8 何かの設備写真9 小屋写真10 戦歿者の墓写真11 小祠写真12 神社・参道写真13 神社跡の碑写真14 石仏
http://hitoritabi.starfree.jp/zenkokuosanpoosusume/higasinihon/haikyo/warabino.html
戻る トップへ蕨野集落平成30年8月19日新潟県柏崎市にある廃集落。海岸沿いの大通りから側道に入って進んでいくとたどり着くことができる。側道を進んで離合がギリギリ可能な道が1kmほど進んだ後、道は未舗装となり、採石場が左手に見える。そのあたりで道は急激に細くなる。集落の近くまで車で近づくこともできるが、途中路肩が崩壊しているところもあり、かなり怖いし、それは実際に歩いてから知ったことで、前調査では道幅も、何も知らない状態であったため、無理やり先に進んで車ごと立ち往生という状況があり得る。そんなリスクを負いながら車で突き進むほど僕は野蛮ではないので、道幅が広いところに駐車し、3kmほど歩いて集落に向かうことにした。だいぶ進んだところ。 最後はうねった道を何回か曲がると、家屋群が姿をあらわす。開村時期は昭和47年とあるが、未だにこれだけしっかりと家屋が立っているということは、平成に入ってからも人の手は加え続けられていたのであろう。 水が流れていた。解村月と当時の屋号が記された日が平成9年に建てられていた。 遺留物。昭和47年には解村したとは思えないほど最近のものも確認されるため、石碑の建立といい、解村と離村時期には齟齬があったにちがいない。集落の奥の方には東北電力が管理する現役の構造物があった。なぞの建物。建物へ続く道は見当たらない。人が完全にここに住まなくなったのはそう古くはないはずだ。ただし、廃村が放つ特有の雰囲気は、ここでも感じられた。ここから隣の居住地までは相当離れている。なぜこの山奥に人が住んでいたのか。歴史を紐解いてみると、面白い発見があるかもしれない。 戻る