津軽要塞(函館要塞)

津軽要塞(つがるようさい)は、大日本帝国陸軍の要塞の一つ。1896年(明治29年)北海道の函館港及び函館湾守備を目的に計画され、1902年(明治35年)に完成した函館要塞が前身で、千畳敷砲台、御殿山第一砲台、御殿山第二砲台、薬師山砲台及び立侍保塁で構成された。昭和に入り守備範囲を広げる為に竜飛崎砲台及び汐首岬砲台及び大間崎砲台を完成させて、1927年(昭和2年)名称を津軽要塞と変更。

2001年(平成13年)10月「函館山と砲台跡」として北海道遺産に選定された。

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津軽要塞(函館要塞) 住所

北海道函館市青柳町

津軽要塞(函館要塞) 種類

軍事施設・戦争遺構

津軽要塞(函館要塞) 画像

津軽要塞(函館要塞) 写真・ブログ・リポート

#025 津軽要塞遺構群
topphotoprofilebookmarkbookshelf#025 津軽要塞遺構群Tsugaru Fortress
津軽要塞
津軽要塞. 明治~昭和時代の主要築城についてのクリッカブルマップとなっています。( 臨時構築物は省略) 砲台名、竣工年月、代表的な備砲(Kはカノン砲・Mは臼砲・Hは 榴弾砲)、所在地、現状の順に記載。 なお、露・太の印はそれぞれ、日露・太平洋戦争の 際
函館要塞(津軽要塞)
函館要塞は、1895(明治28)年、日清戦争終結後、日露戦争を想定して津軽海峡の防衛 強化のため、また当時の北海道開拓の玄関口函館港湾を守ることも兼ねて計画され、 要塞地帯法によって1898年から函館山のいろいろな場所に本格的に建設された。
津軽要塞司令部
津軽要塞司令部. (上) 津軽要塞司令部の平面図. 1948(昭和23)年頃撮影の空中写真 より。函館八幡宮の境内に隣接。現在は、わずかに火薬庫と掩蔽弾丸庫が残るのみ。 跡地は、道営住宅谷地頭団地となっている。戦後、火薬庫のすぐ上に函館八幡宮に
函館山探索
昔、函館山には津軽要塞と呼ばれる軍事施設があったのです。詳しくは こちらのHP(ようこそ要塞探訪へ) をご参照ください。 こちらは地下砲側庫への入口です。 津軽要塞は第二次世界大戦後、アメリカ軍によって解体されましたが
要塞の名残(水尺)
函館津軽要塞は明治から始まり、昭和20年でその役目は終わる。 後に近代化した漁港が出来、その最、撤去せず利用したのだろう。 この画像だけでは要塞水尺の説明は不十分である。 したがって 納得のいく画像を載せます。
津軽要塞重砲兵聯隊竜飛砲台跡
昔から龍飛崎は津軽海峡の防衛、監視の場として軍事的に重要視されてきました。 龍飛崎灯台とは反対側の丘の上には津軽要塞重砲兵聯隊竜飛砲台跡があります。 また、近くには佐藤佐太郎歌碑、川上三太郎句碑、大町桂月文芸碑も立てられています。
函館要塞
なお、この途中に、立待堡塁があるそうですが、見つかり ませんでした。 たぶん途中に あった「立ち入り禁止」の看板がある狭い 林道の先にあると思われます。 周りには細い 道?があり、一周できます。 再度つつじ山駐車場付近から薬師山の方へ 降りていき ます
終戦直前における津軽海峡の防衛
防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 北東方面陸軍作戦<2> -千島・樺太・北海道の 防衛-』(1971)、〃『戦史叢書 本土決戦準備<1> -関東の防衛-』(1971)、鎌田良治「津軽 要塞に就いて」(函館市史編さん室『地域史研究 はこだて 第22号』、1995)等を参考に
海軍函館水雷衛所 - So-net
1902(明治35)年10月, 立待堡塁の竣工。・・・函館要塞の主要な五つの砲台が完成。 この頃、函館山の陸軍省用地の内、観音山一帯を海軍省へ移管。 1903(明治36)年2月3日, 『函館要塞防御要領書』を改正。観音山に築城予定だった框舎(機関砲4門)を計画 
御殿山第一砲台/函館要塞(津軽要塞)
御殿山第一砲台. 函館山のロープウェイ山頂駅、そこに付随する展望台から、市街地、そして港を一望したものが(1)の写真だ。 この見晴らしの良い場所にも、御殿山第一砲台と呼ばれている要塞があった。 しかし、函館山に来る観光客の殆どが、ここに要塞が 
遺構と廃墟と滝と碑と。|misdirectionのページ|ブログ|misdirection|みんカラ - 車・自動車SNS(ブログ・パーツ・整備・燃費)
函館要塞は、明治29年頃から函館港と函館湾を守る為に要塞設置が計画、函館山全体が要塞となります。昭和に入り、守備範囲を広げる為に竜飛崎砲台及び汐首岬砲台及び大間崎砲台を完成させて、昭和2年名称を津軽要塞と変えました。昭和4年6月に工事が始まり、同8年に竣工しま