糸洲分院壕は、沖縄県糸満市糸洲にある病院壕跡。 元々はウンジャーガマ(糸洲の壕)という自然洞窟で...

糸洲分院壕

糸洲分院壕 概要・歴史

糸洲分院壕は、沖縄県糸満市糸洲にある病院壕跡。 元々はウンジャーガマ(糸洲の壕)という自然洞窟で...
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糸洲分院壕 ストリートビュー・空中写真

糸洲分院壕 関連ブログ・参考リンク

http://www.h2.dion.ne.jp/~uehara86/uka-.html
ウッカーガマ(糸洲壕) 24師団第二野戦病院 糸洲分院壕(積徳女子学徒) 糸満市 伊敷にある糸州の壕は自然洞窟、このガマは出入り口が2箇所ありウッカーガマ、 ウンジャーガマと呼ばれる。1944年10・10空襲後、糸州の住民の多くは ウンジャーガマ(
http://www.h2.dion.ne.jp/~uehara86/gama/uka-.html
現在、糸州壕の名称で呼ばれているが、糸洲集落にあるから糸洲壕の名称であり、ここ はウッカーガマ。ちなみに糸洲集落にはひめゆり関係の糸洲壕(第二外科壕)も存在 する。ウッカーガマは当時糸洲分院の炊事場として利用されていた。本来、避難民が 利用
http://okinawanofukei.ti-da.net/c124371.html
2011年1月24日 昭和20年4月下旬 第一野戦病院新城分院壕開設され、命により白梅隊員5名配置に つく。(通称ヌヌマチガマ) 昭和20年6月3日 戦況が悪化し新城分院壕は閉鎖され、 隊員5名は八重瀬の本体へ帰隊した。 糸洲の壕 の風景はこちら
http://www.kitanet.ne.jp/~takashi/gikai9jou/okinawahoukoku-3.html
2010年5月20日 南風原壕だけでは収容できないため、分院が糸数(アブチラ・糸数壕)、余儀、楚辺、一 日橋、識名、嘉手納、名護に設置された。」 「本部が山城の壕、第一と第三外科が糸洲 の壕へ移る」とあるように、5月末には、沖縄陸軍病院は、洞窟の横穴
http://senchns3110.web.fc2.com/himeyuri/himeyuri01.htm
第1外科・第2外科・伝染病棟、そして一日橋分院・識名分院というように、 それぞれの病棟に ひめゆりの塔」で有名な第3外科壕から那覇方面に数百メートル戻ったところ、 糸洲の集落の外れにひっそりと「陸軍病院第2外科壕跡」の碑はあります。 かつて壕ツ黴