東京都神津島村長根山にある砂糠山(さぬかやま)の養蚕場跡。 農業構造改善事業により、昭和40年代半...

砂糠山の養蚕場跡

砂糠山の養蚕場跡 概要・歴史

東京都神津島村長根山にある砂糠山(さぬかやま)の養蚕場跡。 農業構造改善事業により、昭和40年代半...

砂糠山の養蚕場跡 画像

1970年代の砂糠山
©国土地理院

近くのスポット

砂糠山の養蚕場跡 ストリートビュー・空中写真

砂糠山の養蚕場跡 関連ブログ・参考リンク

http://www.kouzushima.info/s15-sanuka1.html
なぜ、そこに道があるのか!?誰もがそう思ってしまう道が神津島にあった。インターネットでふらふらネットサーフィンをしていたら見つけてしまったその道。国土交通省の「ウォッちず」という誰でも閲覧可能な地図サイトの神津島の地図をご覧下さい。灰色の四角い記号は何か建物の
https://yamaiga.com/road/sanukayama/main7.html
道路レポート 神津島の砂糠山にある廃道 机上調査編公開日 2016.3.12探索日 2013.4.01所在地 東京都神津島村トップ>目次>序/1/2/3/4/5/最終回/机上調査編机上調査(前編) 再訪へ向けた軌跡今回の探索日は2013年4月1日で、翌々日の早朝に無事帰宅した私は、旅の興奮の醒めぬうちに早速、あれやこれやの机上調査をスタートした。その成果を発表する前に、机上調査中にこういうもの(→)を見付けて笑わせていただいたことを書き記しておきたい。私が探索中に窓口を訪ね、衝撃の“養蚕施設”証言を得た神津島観光協会の公式ツイッターアカウント(@kozusimaさん)が、こんなツイートで世の中の【島フェチ】を島へ呼び込もうとしていたのである。フェチだぞ、フェチ。フェチって……、あれだろ…。まあ、私が探索中にだいぶやばくなっていることは否定しきれない(詳しくはこの漫画に…)が…。いずれにせよ、オブローダーの説明が面倒だと思った私が、自己紹介を適当にした結果が「史跡マニア」なわけである。で、相変わらず観光協会サイドは「養蚕場所として使われた(使おうとした?)神津島のある場所」という(少し当日よりも自信がなさそうな)表現で、“養蚕施設”説を推している。本当かよ!島の外から恐縮であるが、私がっきっちり カタ 付けたる!!文献調査 ~『伊豆諸島東京移管百年史(下巻)』および『神津島村史』を読む~遠くの図書館から取り寄せるまでも無く、最寄りの日野市立図書館に所蔵されていた上記の史誌が最初のターゲットとなった。(こんなとこでも、伊豆諸島が確かに東京“都内”なのだと実感する)そして、個人的な疑義はさて置いて、島民の証言があるという理由から、最も有力な説とみられた「養蚕」について調べてみると…。2冊とも、神津島の養蚕について専門に述べたページが1ページずつあった。どちらも1000ページを越える大冊であるから、この分量は多いとは思えない。もちろん文章も読んだが、砂糠山で大規模な養蚕事業が行われたことについては、記述がなかった。が、それでもこれら文献は、私の大きな誤りを正...である。(全文はこちら)『総合都市研究 第22号(1984)』掲載「都市的生活様式の実証研究(その1)―東京都神津島村調査報告―」より引用戦後農業振興政策が始まったのは(中略)昭和32年に新農山漁村振興計画地域に指定されてから後である。これをきっかけとして換金作物のきぬさやが導入された。昭和42年の第二次農業構造改善事業では、自立農家創設を理念とし、きぬさや栽培と養豚と養蚕が事業に指定され商品作物農業の振興に意欲を燃やした。農業振興が本格的に始まったかにみえた。だが、養豚と養蚕は失敗に終わった。(中略)養蚕は計画のはじめから無理があったようだ。二次構の事業基準にあわせた規模で施設を作る必要があり、敷地をもちあわせなかった村では農道も整備されぬ山奥に養蚕団地を造成したため事実上使用不可能にちかかった。行政が柔軟性を欠いたための失敗であった。――このようにまとめられている。これを読むまで私はてっきり、島の未開発地域を農業地として大規模に開発することで、全体の生産力を高めようという、その程度の安易な目論見で砂糠山の開発が行われたものと思っていたが、実際はそうではなく、国の補助金を得て事業を進めるための苦渋の決断であったことが分かった。溺れる者は藁をもつかむの喩えがあるが、村はそのような心境で第二次農業構造改善事業という藁にすがりつき、そして溺れた。垂らされた藁に詐欺の悪意があったわけでは無いだろう。誰もが前向きであろうとしたが故の犠牲だと、そう信じたい。人々の汗する笑顔を夢見た道は、今この時も、波と風の向こうで眠り続けている。完結。 当サイトは、皆様からの情報提供、資料提供をお待ちしております。 →情報・資料提供窓口今回のレポートはいかがでしたか? 10点満点で採点してください。←つまらなかった。   普通かな。   おもしろかった!→1  2  3  4  5  6  7  8   9  10コ メ ン ト (空欄でも結構です。皆様からいただいたコメントの一部を公開しています。詳しくは【こちら】をお読み下さい。  公開OK  公開しないで!         これまでの平均点 9.70点 /これまでの投票回数 2745人このレポートの公開されているコメントを読む【トップへ戻る】
https://blog.goo.ne.jp/ruinsdiary/e/93351a95dbc946163a8e914f0c068e70
離島の廃道撮影でやって来た神津島。初日は天候不順のため撮影ができなかったものの、翌日は快晴だったので撮影をすることに。撮影ターゲットは神津島の南西にある砂糠山の廃道です。google mapの航空写真を見ると、崖崩れ甚だしい山の尾根に、ほんのちょっとだけ残るアスファルトの道が見えます。※リンク先のgoogle map航空写真を見ると、周囲の崖崩れの様子がよくわかります。目指すはこの僅かな道と、その周囲に延びていたであろう廃道です。
https://collectcorrect.blog.fc2.com/blog-entry-128.html
・神津島(こうづしま)伊豆大島に始まり、利島、新島、式根島、神津島、三宅島、御蔵島、八丈島、青ヶ島、鳥島と続く伊豆諸島の一島。伊豆諸島の島々はいずれも火山もしくはカルデラ式海底火山の外輪山が海面より高くなったものである。構成される主な火山岩の種類で分類すると、玄武岩質の大島、利島、三宅島、八丈島、青ヶ島、鳥島流紋岩質の新島、式根島、神津島安山岩質の御蔵島となる。前述の通り、神津島は流紋岩質の火山島であるが、流紋岩質のマグマが急激に冷え固まると、黒色の天然ガラスとなる。これが黒曜石である。