中津川集落は、奈良県吉野郡野迫川村にある廃村集落。 野迫川村は奈良県の僻地に位置するが、西方で和....

中津川集落(中津川小学校)

中津川集落(中津川小学校) 概要・歴史

中津川集落は、奈良県吉野郡野迫川村にある廃村集落。 野迫川村は奈良県の僻地に位置するが、西方で和....

中津川集落(中津川小学校) 画像

中津川小学校跡(2022年9月)
提供画像 転載禁止
提供画像 転載禁止
提供画像 転載禁止
提供画像 転載禁止
提供画像 転載禁止
提供画像 転載禁止
提供画像 転載禁止
民家
提供画像 転載禁止
村道開通記念碑
提供画像 転載禁止

近くのスポット

中津川集落(中津川小学校) ストリートビュー・空中写真

中津川集落(中津川小学校) 関連ブログ・参考リンク

http://white.ap.teacup.com/harikyu/90.html
2011年5月14日 廃校をたずねて⑲ 佐久市旧志賀村立志賀小学校 | Main | 廃校をたずねて⑰ 群馬県 下仁田町立青倉小学校土谷沢分校 ≫ 中津川小学校の廃校は1984年3月28日と あるから、もう26年も前のことである。 ① 閉校記念碑。 碑文を読むとツ黴
http://blog.livedoor.jp/kurobee_ruins/archives/7055932.html
2010年4月10日、2011年10月16日探訪。埼玉の最奥地、中津川地区にある小学校。閉校後キャンプ施設に転用されていた事もあったようだが、それも終わり廃墟となった。現在はRC造りの体育館や音楽室、キャンプ時代に建てられたであろう入浴施設などが残っている。か
http://www.din.or.jp/~heyaneko/nosegawa.html
野迫川村には1989年夏に行ったことがあり土地勘もあったので,中津川を目指すツーリングが成立しました。 やがて,丹生(Nyuu)川沿いとなって川をさかのぼると,川口という小さな集落があり,ここには「ダム反対」の看板がありました。 高野町に入ったツ黴
http://www.shurakumachinami.natsu.gs/04rensai-page/rensai_kiisanchi.htm
斜面にへばりつく漁村、石を積んだ農村、これから訪れる紀伊山地の山岳集落が如何に険しいかを予告している。紀伊半島の最 十津川郷とは、今の奈良県吉野郡の奥に広がっている広大な山岳地帯で、十津川の上流域にあたる十津川村、大塔村、野迫川村、天川村の総称である。谷は深く . 中津川集落は、十津川本流に近いが村内では外れにあたる場所にあり、川原樋川の谷底から仰ぐ急斜面の中腹に立地している。 ここで、ツ黴
http://www.shurakumachinami.natsu.gs/03datebase-page/nara_data/nosegawa/nosegawa_file.htm
紀伊山地の十津川流域は「十津川郷」と呼ばれていた。野迫川村は十津川郷の一部で、十津川の上流に位置する隔絶性の強い山村である。紀伊山地は、わが国の西南日本を中部地方より九州地方にかけて縦走する大断層である中央構造線の南側にあたるツ黴
http://haikyobu.com/blog-entry-9.html
2013年10月12日 15:38 野迫川村大字中津川車を降りてから歩くこと約15分。木造の建物が見えてきた。廃村である。 この日、車で訪れるのもヒヤヒヤ(本当はワクワク)したほど山奥の僻地に位置するこの集落だが、歴史は古く平安時代の文書で中津川の地名ツ黴
http://heyaneko.jugem.jp/?eid=1314
平成30年10月上旬、奈良県の廃村探索、野迫川村中津川(なかつがわ)を訪ねたのは、18年ぶり2度目。池津川局郵便区全図(S.32.10)では、中津川は15戸とある。離村時期は昭和47年頃と想定している(学校閉校後3年後の経験則)。中津川小学校はへき地等級2級、
http://miya10.hateblo.jp/entry/2016/10/19/220000
今回は、奈良県の山奥「野迫川村」の、さらに奥にある廃村「中津川」。人がいた村は、「寂しい」を詰め込んだ廃集落である。A:和歌山県橋本市→B:高野山(壇上伽藍)→C:【奈良県】陣ヶ峰→D:野迫川村→E:池津川集落→F:中津川廃村→G:国道168号入り口→H:宗川
https://ameblo.jp/hiho-haiko/entry-12344123247.html
次に向かったのは、廃村となった中津川集落です。県道734号から林道へ左折して進みますが、行止りの案内と落石注意の看板に秘境感が漂います。。林道は枯れ葉と石ころが混じった悪路です。ほとんど車や人が入らないようですので注意が必要です。。明瞭な集落案内板がポツンと立
https://haikyobu.com/2008nara/29
15:38 野迫川村中津川車を降りてから歩くこと約15分。木造の建物が見えてきた。廃村である。この日、車で訪れるのもヒヤヒヤ(本当はワクワク)したほど山奥の僻地に位置するこの集落だが、歴史は古く平安時代の文書で中津川の地名が既に出現している。往時は賑わいを見せたが昭和30~40年代から過疎化が進み、昭和末期~平成の始め頃に集落の人々が離村して(資料によって時期が異なるため調査中)今に至る。往時の詳細については後の資料編で。
https://haikyobu.com/2008nara/31
廃村・中津川の歴史を調べる上で欠かせないのはこれ。1974年に刊行された野迫川村史である。この村史には歴史や文化から伝説、年中行事、方言、さらには自生する植物までこと細かく記述されている。図書館で見ているうちに欲しくなってしまったので、天満の古本屋で購入した。この資料を手に取り、村の概要と歴史を見て行こう。野迫川村の位置奈良県のチベット野迫川村は吉野郡十津川村の北西に位置し、東は大塔村、北から西にかけては和歌山県伊都郡高野町、花園村、有田郡清水町と境を接している。野迫川村は諸山系によって囲繞され、川原樋川の穿入曲流にはばまれて僻地である奥吉野山間のなかでもさらに隔絶地域をなし、「奈良県のチベット」と呼ばれてきた。(p.87)奈良県南部の秘境っぷりはその1でも触れたが、中津川のある野迫川村もとんでもない僻地である。今のご時世でチベット発言なんてすれば炎上必至。でも当時の野迫川村は自称していたのだ。では何故そんな秘境に、いつから人々が住み始めるようになったのか。
https://mitra.hatenablog.com/entry/2019/07/21/150000
貧しさから住民が集団離村旧大塔村から天ノ川支流の川原樋川沿いに、奈良県道734号線を遡って中津川に向かっています。中津川はたまたまネットで見かけた廃村で、廃墟マニアには知られた場所らしいです。というより天ノ川沿いは168号線が走っていて、過疎とは言え賑やかだったが、川原樋川沿いは丸ごと廃墟な感じです。廃墟化した家すら見かけず、川原樋川の反対側に渡る橋の多くは、老朽化か災害の為通行止めでした。川の向こうにある立里という集落にも行きたかったのだが、数十年前に廃村になっていたようです。県道734号から分岐して中津川に新しい道が伸びているが、計画では集落を貫通して大塔村までつながる筈だったようです。
https://ameblo.jp/minami-works/entry-12454651282.html
池津川集落から県道734号を五條方面へ走っていくと、途中の分岐を左方向に上っていく道があり、 落石や木の枝を避けながら林道のような道をしばらく走っていると、木造校舎が見えてくる。