日鉄鉱業嘉穂鉱業所大分坑は福岡県飯塚市大分にあった炭鉱。 1926(大正15)年に嘉穂鉱業が設立され、1...

日鉄鉱業嘉穂鉱業所大分坑

日鉄鉱業嘉穂鉱業所大分坑 概要・歴史

日鉄鉱業嘉穂鉱業所大分坑は福岡県飯塚市大分にあった炭鉱。 1926(大正15)年に嘉穂鉱業が設立され、1...

日鉄鉱業嘉穂鉱業所大分坑 画像

日鉄鉱業嘉穂鉱業所大分坑(1967年7月)
©国土地理院
日鉄鉱業嘉穂鉱業所大分坑専用線の橋台跡(2023年2月)
©Google

近くのスポット

日鉄鉱業嘉穂鉱業所大分坑 ストリートビュー・空中写真

日鉄鉱業嘉穂鉱業所大分坑 関連ブログ・参考リンク

http://fine.ap.teacup.com/chikumae_life/72.html
筑穂町大分(現飯塚市大分)にあった炭鉱昭和45年閉山八幡製鉄所へ石炭を供給するために出来た会社(日鉄鉱業)が、嘉穂鉱業所としてココとスグ隣の上穂波坑で採炭していた。1967年頃の航空画像(画像は「国土画像情報国土交通省」)より大分坑からは積出専用線が篠栗線(現
http://fine.ap.teacup.com/chikumae_life/85.html
上穂波坑採炭の原炭は大分坑に揚げられていたというのは上穂波坑で記述しましたが、このほど筑穂町史(下巻)にて上穂波坑と大分坑が地下で繋がっていて揚炭は最新鋭機器がある大分坑に揚げて選炭及び出炭していた事が判りました。上穂波駅~上穂波坑専用線は必要が無くなったため
http://ameblo.jp/gmgwwmd0/entry-11289678661.html
日鉄嘉穂鉱業所以前更新の記事に誤りありましたので編記します嘉穂鉱業所大分坑、(昭和49年の航空写真)選炭場、積込場やシックナーなどが確認できる(年代不明)(年代不明)シックナーと事務所でしょうかまだ、色々な施設が確認できるこの南東側には、選炭建屋、精炭ポケット
http://ameblo.jp/gmgwwmd0/entry-11289145332.html
大分坑続き、(昭和49年の航空写真)県道沿いにあるという、遺構です森に不自然なコンクリート建造物がかなりの大きさです内部、何本も頑丈な柱です確かに、航空写真の北側に長方形の建造物が見える何の遺構でしょうか内部の奥には、蓋のついたシュートらしき構造が確認できたそ
http://haikyo-hunter.blog.so-net.ne.jp/2010-01-08
福岡県飯塚市大分(いいづかしだいぶ)冬の田んぼの向こうに見えてるのは日鉄鉱業のボタ山そう、かつて炭鉱があった場所だ今回も何時の間にか始まった残骸シリーズです。今まで廃墟ハンターでさえも見向きもしなかった残骸だったけど、たとえ小さな残骸でもこの先、何かの拍子で貴
https://haikyo-hunter.blog.ss-blog.jp/2010-01-08
この日鉄鉱業の嘉穂鉱業所大分坑は昭和45年に閉山になっていますがそれまでは北九州の八幡製鉄に石炭を供給していたらしい。もう、周辺には引込み線の橋脚の跡くらいしか残ってないけど、残骸探しは楽しい!火薬庫は工場の敷地内なので許可を貰って見るならココ
https://otchee.com/railroad/sonota/nittetsu.html
(2000年秋頃探訪分) 以前、日鉄嘉穂鉱業所の専用線があったことを文献で知り、いつか探索せねばと思い今回やっと行く機会が出来ました。遺構としてはこの橋台しか残っていなく、他は見当たらない。というのも、筑豊本線の桂川から嘉穂鉱業所大分坑まであったこの専用線は、途中まで今の篠栗線のルートを通っていたらしい。専用線が廃止されてその跡を鉄道建設公団が日鉄から買って、今の篠栗線を敷設したようだ。この橋台付近は一面田圃で、築堤・路盤のようなものは一切見当たらない。唯一現存する遺構だ。奥に見えるのは電化に向けて架線柱が立つ篠栗線(桂川~筑前大分間)。