古河鉱業下山田炭鉱は福岡県嘉麻市にあった炭鉱。 1886(明治19)年頃に始まり、1890(明治23)年の海...

下山田炭鉱

下山田炭鉱 概要・歴史

古河鉱業下山田炭鉱は福岡県嘉麻市にあった炭鉱。 1886(明治19)年頃に始まり、1890(明治23)年の海...

下山田炭鉱 画像

下山田炭鉱(1963年10月)
©国土地理院
1974-1978年 国土地理院

近くのスポット

下山田炭鉱 ストリートビュー・空中写真

下山田炭鉱 関連ブログ・参考リンク

http://fine.ap.teacup.com/chikumae_life/22.html
旧山田市にあった炭鉱(昭和45年閉山)旧山田市(現嘉麻市)には三菱上山田炭鉱、日炭山田炭鉱など大小いくつかの炭鉱があったが、古河下山田坑はその中の一つ。鉱業所は上山田線(廃線)の下山田駅に隣接し、駅構内にホッパー施設などがあった。昭和38年頃の鉱業所昭和38年
http://ameblo.jp/gmgwwmd0/entry-11328099945.html
今日は、古河鉱業下山田炭鉱跡へ探索に行きます下山田団地方面から探索開始します登り坂を登って行くと、左側に土台の遺構発見その正面には、蔦が凄い変電所でしょうか気をとりなおして、坂を登ります土台の遺構から登ってすぐの所に昔の下山田病院がありますいまでは、事務所とな
http://ameblo.jp/gmgwwmd0/entry-11328119623.html
古河下山田炭鉱の続編です前回の続きで元病院跡の周辺を探索しますコンクリート柵の遺構付近に社宅跡を発見社宅跡の付近には、レンガのタンクと古い配管の遺構もありますその他、遺構を探します、山を挟んで裏側にも探索に入ります裏側にも遺構がたくさん見付かりましたはじめは、
http://fine.ap.teacup.com/chikumae_life/311.html
古河下山田炭鉱旧第二坑坑口跡旧二坑坑口です、今日はココかららしい(笑)以前帝王様のブログで掲載された民家裏に残る坑口実は私も以前訪問してますが家主さんが留守だったので保留物件でした。*ヤンキー(死語?)もいっぱい居たし..(^^;許可を頂き敷地内から角型は珍し
http://fine.ap.teacup.com/chikumae_life/373.html
まずは運炭用と思われる隧道、隧道なら山向こうにも坑口があるハズなのでプチ登山から開始(^^;頂上付近で宇垣さまが発見した杭古河鉱業の社章(山に一)に漢字で古河と読める杭から向こう側へ下ったところに有りました、ウナブシ側の坑口反対側と違ってこっちは半分以上土砂が
http://fine.ap.teacup.com/chikumae_life/65.html
下山田炭鉱PaatⅡです。(PartⅠはこちら)夏の続きで藪の猛威も減ったころなので行ってみた。旧鉱業所病院(現在は古河機械金属筑豊事務所)前の土手も雑草が枯れてお約束のボタ石垣が見えてます。夏は雑草に埋もれていたこのコンクリート柵も、周りが綺麗に刈られて現役
https://fukuokaunderplot.com/funai/chikuho/kama/furukawa_shimoyamada_yamajinja.html
嘉麻市下山田の市営住宅、古河の旧社宅街だったその外れに小高い山があります。そこにはかつて、古河鉱業株式会社下山田鉱業所の山神社が鎮座していたといいます。炭鉱はとっくの昔に閉山していますが、航空写真や地図で見る限り、その山に手が入った様子もないので、現在どうなっているのか、行ってみました。
https://kasuya.jimdofree.com/%E5%8F%A4%E6%B2%B3%E9%89%B1%E6%A5%AD%E4%B8%8B%E5%B1%B1%E7%94%B0%E7%82%AD%E9%89%B1-%E5%98%89%E9%BA%BB%E5%B8%82/
母方の祖父が坑夫として働いた下山田炭鉱。いつか訪ねたいと思っていた。閉山後は知人を頼り他県に移り材木卸問屋で経理の仕事をしていたという。この地で母や叔父叔母が生まれ生活していたと思うと、とても感慨深いです。