洲崎第二砲台

洲崎第二砲台は千葉県館山市にある戦争遺構。東京湾要塞の一環として建築された。

炸薬填実場と言われているコンクリート構造物の上に民家が建っている。

県道257号線沿いに門柱2基が現存しており、ストリートビューからも確認できる。4基あった砲座は左端の1基のみが残っており、その両脇にあった砲側庫が3箇所現存する。南側には弾薬支庫も残り、他にコンクリートアーチ橋などが現存している。

物件は管理されており、無断侵入や破壊・損壊行為、物品の持ち出し等は法的に禁じられています。航空写真・ストリートビューからの鑑賞を強く推奨します。また周辺地域を訪問される場合でも、公道上から外見のみを見学し、地域の方々に迷惑となる行為は強く慎まれるようお願い致します。情報は最新の状態を反映しているとは限らず、リニューアル・再生されている場合もあります。当サイトの情報は物件の歴史的に一時的な状態を示しているのみです。また、不使用施設以外の味わい深い施設をおことわりの上紹介している場合がありますのでご注意下さい

洲崎第二砲台 住所

千葉県館山市坂田

洲崎第二砲台 種類

軍事施設・戦争遺構

洲崎第二砲台 画像

洲崎第二砲台 写真・ブログ・リポート

Digital Artworks TeeART Blog. [戦跡] 洲崎砲台跡
千葉県南端に位置する館山市。ここには数多くの戦跡がある。その一つ、洲崎第二砲台に行ってきた。この付近一帯は当時、東京湾要塞地帯になっており、東京湾周辺の防衛を目的に設置された数々の遺構がある。ちなみにこの地帯標、本来であれば文字部分は彫り込みだけのはずなのだが
たてやま発見伝: 戦後67年終戦の日特集 館山市の戦跡15 「洲崎第二砲台」
東京湾要塞を構成した砲台が、現在の館山市内には、洲崎第一・二砲台と2つありました。東京湾要塞の配置図⑧洲崎第二砲台⑨洲崎第一砲台名称とは逆に、洲崎第二砲台のほうが古く、大正13(1924)年10月に工事が始まり、昭和2(1927)年3月に完成しました。洲崎第二
坂田 洲崎第二砲台・弾薬支庫 - 館山の戦跡 | トラベル - [ありの木]
館山から乗車約30分、坂田(ばんだ)停留所で下車。ここからは徒歩で大砲跡へ向かいます。バスはのどかな海岸線を走る。バス停から山側へ進むと、ほどなくして薄暗い林道に入ります。時刻は16時過ぎ。日没が近づき、少し気持ちが焦ります。まもなく、進行方向右手に砲台跡を発
洲崎第二砲台
(上)銃眼のような窓が特徴的な掩蔽部この窓が銃眼なのか、それとも違う目的があってこの形なのか、ご存知の方は教えてください。洲崎第二砲台(上)掩蔽部入口(上2点)掩蔽部の内部(上2点)(下)内部に2つの掩蔽部が残るトンネル両側に迷彩が施されている。(上2点)洲崎
南房総・戦争遺跡ツアー
洲崎第二砲台は1927年(昭和2年)に完成したもので、坂田(ばんた)地区に多くの遺構を見ることができます。県道を洲崎灯台に向かって進むと左手にコンクリートの柱が2本立っているところがあります。これは門柱でここ場所が砲台地区の入口にあたるところです。狭い道を登っ
洲崎第二砲台
要塞砲の主砲であった28糎榴弾砲を上回る性能を求めて設計された30糎長榴弾砲が設置された砲台。もともと西浦砲台に設置する計画であったが地盤不良により中止となったため本砲台に設置されたようである(三浦半島城郭史より)。砲座は南北に一直線に並び、首線は西。砲座間に
戦後67年終戦の日特集 館山市の戦跡15 「洲崎第二砲台」
名称とは逆に、洲崎第二砲台のほうが古く、大正13(1924)年10月に工事が始まり、昭和2(1927)年3月に完成しました。 洲崎第二 洲崎第二砲台と洲崎第一砲台の位置浄法寺朝美『日本築城史―近代の沿岸築城と要塞』(1971)より転載 
戦跡ウォーク(東京湾要塞砲台群と特攻基地跡コース) ~安房文化遺産
東京湾要塞砲台群と特攻基地跡コース. 1.洲崎第1砲台跡 (加賀名砲台). ↓. 2.洲崎第2砲台跡 (坂田砲台). ↓. 3.洲崎弾薬支庫跡. ↓. 4.第18突撃隊 波左間 “震洋” 特攻基地. 1.洲崎第1砲台跡 (加賀名砲台). 4.第18突撃隊 波左間 “震洋” 特攻基地